三国志を解釈する(11)
【三国志を解釈する】(11)廃帝を叫ぶ董卓を盧植が論破
宦官に拉致された漢の少帝と陳留王を、官吏や将軍が見つけ出した後、西涼の刺史である董卓は、混乱に乗じて、皇帝を守るという名目で、大軍を率いて少帝のもとへ直行しました。
これは宮廷にある大臣や皇帝を直接拉致したに等しいのです。董卓はすぐに皇帝の退位を強制的に行いました。この出来事をきっかけに、当時、国内で絶大な人気を誇っていた偉大な儒学者である盧植(唐代に孔子廟に祀られている)は、董卓の廃帝に対する反論を出しました。
『三国志演義』の第三回では、少帝と陳留王が董卓の「援護」を受けて宮中に戻った後、玉璽が失われ、董卓の反乱の意図が明らかになってきたと説明されています。
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董卓が廃帝を強行したことは、「帝は帝ではなく、王は王ではない」という予言が完全に当たったことを意味します。では、歴史が天命によって定められているのであれば、漢の末期に三国が共存したのはなぜでしょうか。