三国志を解釈する(10)
【三国志を解釈する】(10)童謡が予言していた皇帝の運命と董卓の死
「帝は帝にならず、王は王にならず、千乗万騎は北邙山を追い駆ける。」
これは、『三国志演義』に最初に登場した童謡です。漢霊帝の死後、最後の二人の皇帝の運命を予言しています。作者は童謡をもとにして、天意の存在を暗示しながら、物語の展開を進めています。
中平(後漢霊帝の年号)6年4月(189年)、霊帝は重病を患って、皇太子を立てず、後継者を指定する明確な辞令を残さずに亡くなってしまいました。権力を握る宦官たちは、霊帝が生前に望んだように、妾が生む子である劉協を皇帝にしたいと考えていましたが、霊帝の長男である劉辯の母親は正統な国母である何皇后です。
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董卓が廃帝を強行したことは、「帝は帝ではなく、王は王ではない」という予言が完全に当たったことを意味します。では、歴史が天命によって定められているのであれば、漢の末期に三国が共存したのはなぜでしょうか。