【三国志を解釈する】(4)黄巾の乱 道術を悪用した張角が残したもの
“霊帝の末期、黄巾賊が蜂起すると、各州、各郡はそれぞれの兵を動員し、劉備は部下を率いて鄒靖に赴き、実力で黄巾賊と戦い、安西の尉官を解任させました。これは歴史書『三国志』の中で、劉備が賊を倒して安西府の尉官になったことを記した原文です。これは、黄巾軍の真実は国賊と判断されており、中国の近代史教科書で歪曲された農民の蜂起ではなかったことを示しています。「州・郡の志願兵」こそ歴史書で認識されている義勇兵であり、各州や郡の政府が組織したボランティアで、官軍とともに黄巾賊と戦ったものです。
劉備の軍隊は、政府の義兵召集を受けて編成された軍隊でした。『三国志演義』の冒頭の物語は、劉備が国と民のために身を捧げ義兵を育て、三人の英雄・劉備、カヌ、張飛が「桃園で結束」して賊と戦うというものです。この意味が逆行してしまうと、何千年も前から称えられてきた国民的英雄が意味を失い、国民から愛されなくなり、尊敬されなくなり、中国の文化や人間としての仁義の概念に疑念を抱かせ、ひいては否定されることになります。ですから黄巾軍の基本的な認識が歪曲されれば、善悪が逆転し、後世の人がそのような歴史を知ると、祖先や伝統文化を疑い、道徳水準が低下するのは目に見えています。現在の中国はすでにそうなっています。
つまり、小説とはいえ歴史小説を書いた作者の狙いは明確で、ストーリーを通して教えたり、楽しませたりして、「義」の価値を伝えることが目的なので、まずはどちらが義兵なのかを明らかにする必要がありました。これは最も重要なことであり、絶対に歪曲してはならないものです。 登場人物や物語はフィクションであっても、そこに表現されている「義」の概念は変えることは許されません。ですから、作者が仁義を説く主人公の劉備や、忠義を説く関羽・諸葛亮は、正義の味方でなければならないのです。そのため、「桃園の結義」の冒頭ストーリーの背景を詳しく説明しています。