弟子規/大紀元

弟子規 (17)

 將(Jiāng) 入(rù)門(mén),問(wèn) 孰(shú) 存(cún)

將(Jiāng) 上(shàng)堂(táng),聲(shēng) 必(bì) 揚(yáng)。

人(Rén) 問(wèn) 誰(shéi),對(duì) 以(yǐ) 名(míng);

吾(Wú) 與(yú)我(wǒ),不(bù) 分(fēn)明(míng)。

用(Yòng) 人(rén)物(wù),須(xū) 明(míng) 求(qiú);

倘(Tǎng) 不(bù) 問(wèn),即(jí) 為(wèi) 偷(tōu)。

借(Jiè) 人(rén)物(wù),及(jí)時(shí) 還(hái);

人(Rén) 借(jiè) 物(wù),有(yǒu) 勿(wù) 慳(qiān)。

【注釈】

(1)入門:門に進み入る。

(2)孰存:誰が中にいるのか。

(3)上堂:大広間に入る。

(4)揚:声を揚げる。

(5)吾:我。

(6)分明:はっきりとさせる。

(7)用人物:人から物を借りて使用する。

(8)倘:もしも。

(9)即:すなわち。

(10)及時:迅速で停滞させない。

(11)慳:おしむ。けちる。

【日文参考】

門に進み入る際には、まず中に誰かいるか聴いてみる。大広間に入る際は、必ず声を揚げて挨拶する。人が誰かと聴いてきたら、必ず自分の名で答える。ただ「私だ」だけだと、よその人は明確に分からない。人の物を使用する際には、必ず先にことわってから借用するようにする。もし同意を求めて得られなかった場合、勝手にもってゆくとそれは盗みになる。人の物を借りたら、すみやかに返すようにする。人が何かを自分に借りたいと申し出てきたら、貸すのを惜しまないようにする。

【参考故事】

昔、江南一帶にある知識人がいて、その心根は正直そのものであった。ちょうど冥府の第七殿に欠員ができたので、玉皇大帝は命を授け彼にその事務を執らせることとした。そして彼は、一日おきに冥府に行っては、閻魔帳を点検精査していたが、判決にまでは及ばなかった。

彼が、各個人ごとに造った善業、悪業,懲罰と福報を調べてみると、それはまちまちであった。毎度目にするのは、刀剣の山を登る人たちで、救援の人が派遣されても、ただ早く昇ろうとするだけで救いようもない人たちであった。

ある日、閻魔帳をつらつらと見ていると、ある奥さんに一つの罪状が見とめられた。隣の家の鶏を一羽盗んだというものだ。その鶏は、羽毛も合わせると一斤十二兩(注)の重さであった。彼はその頁を折り曲げて印をつけた。

この世に戻ってきて、彼はさっそくその奥さんに聴いてみたが、彼女はそしらぬふりをしたので、彼は冥府での事を彼女に話してから、再度問いただした。すると彼女はそれを認めて、事の次第を話し始めた。彼女によると、隣の家の鶏が干していた食物を啄んでしまったので、怒ってつい打ち殺してしまったが、隣の家の奥さんに叱責されるのが嫌で言い出せずに隠し通したというのだ。その殺した鶏をもってきて量ってみると、何と閻魔帳にあったとおり、その重さはちょうど寸分たがわず一斤十二兩だったので、夫妻は肝をつぶし、隣人に賠償して謝罪した。

それからしばらくして、彼がまた冥府に戻り、閻魔帳の折れ曲がった印の所を開いてみると、その奥さんの罪状は消えていたという。

(注)一斤十二兩…重さの単位。一斤は約500グラム。一斤は現在は十両、この当時古は十二両に相当した。

(竜崎)

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