【党文化の解体】第3章(4)

1.宣伝機関総動員で党文化を押し広める
2)主要な宣伝機関

 真実の情報を獲得することは、人類が生存を維持するための必要条件だ。古代社会では、人々は口コミによって生活に必要な情報を充分に得ることができた。しかし、資本主義の生産方式が発展するに伴い、人類活動の規模と範囲は絶えず拡大し、世界は「地球村」へと変わり、万里の外で発生した事件でも一個人の生活に大きな影響を及ぼしうるようになった。その結果、口コミだけでは用が足りなくなって、大衆メディアが自然に発展してきた。

 大衆メディアの出現により、人類の情報環境は根本から変わった。メディアを通じて、分散していた各個人がより緊密に社会と連携するようになり、人々が関心を持つ事柄もますます多くなり、個人の精神世界もより複雑になった。今日の人類は、かなりの程度でメディアから得た情報に頼って外部環境を判断し、利害を選択している。

 メディアが社会生活の中で重要な役割を演じているため、西洋の民主国家では、メディアは司法、立法、行政に次ぐ第四の権力と称され、記者は「無冠の王」と称されて、巨大な社会的影響力を有している。

 中共がよく「資本主義国家における報道の自由の虚偽性」を攻撃しているため、多くの中国人も、よく考えもせずに中共の言葉を繰り返している。実際、報道の自由はすべてのメディアに傾向性がないということではなく、それぞれ違う傾向性のメディアが自由競争できるように法律によって保障されることであり、また個人あるいは団体が自由に自分のメディアを設立できるということだ。

 このような制度の下では、それぞれのメディアが共存し、互いに補充し合い、人々はそれぞれ違った観点を分かった上で、自らの判断と選択をすることができる。もし、現存メディアの報道に不満を感じれば、法律に則ってより中立、客観的なメディアを設立することができる。

 ところが、中国のメディアは、総てが中共の「官製」であり、「これしかなく、違った声はない」というものだ。中共の中央テレビ放送局(CCTV)はアメリカで放送することができるが、アメリカのテレビ局は中国で放送することができない。

 中共の厳密な思想統制によって、メディアは真実の情報を伝達する機能を喪失している。共産党の統治下では、新聞、テレビ、ラジオ、インターネットなどの大衆メディアは必ず 「党の代弁者」であると同時に党文化を推し広める道具になっている。

 (1)刊行物

 1991年に台北で出版された『中共の地下党時期の刊行物についての調査研究』という本の統計によると、1949年以前、当時の合法政権を全力で転覆させようとした中共は、国民党統治下の比較的ゆるやかな言論環境を利用し、所謂の「解放区」(中共の占領区)でメディアを統轄していた以外に、国民党の統治地域でも1000種を超える刊行物を発行したり、操ったりしていた。中共はこれらの刊行物を利用して、「民主」を鼓吹し、自らを美化し、国民党を攻撃して、政権を奪取するために「すぐれた功績」を立てた。

 しかし、中共が政権を奪取してから、あらゆるメディアを「党の手」で一括掌握するようになった。そのような状況で「党」に報道の自由を求めても、「党」の答えは、「階級を超越する言論の自由は存在しない」というものだ。著名な民主運動家の儲安平氏はかつて次のように予見した。「国民党統治の下では、自由は多いか少ないかの問題であったが、もし共産党が執政したならば、この自由は有るか無いかの問題になるだろう」。

ところが、実際には、民主が有るか無いかという問題さえ存在しなかった。毛沢東が「反動派の発言権を剥奪せよ、人民にだけ発言権がある」と宣言したからだ。誰が人民で、誰が反動派なのか?すべて毛沢東の言うがままであった。

 「世論の一致」、「報道の党性原則」、「政治家が新聞を主導する」、「文化事業は政治の任務に仕える」…このようなスローガンの指導の下、すべての新聞と刊行物は中共の代弁者となった。「党」が右派を抑えようとするやいなや新聞は「右派が反乱を起こすつもりであり、私たちは決して許してはいけない」と批判し、「党」が「大躍進」を求めようとしたら、新聞はすぐ「1ムーの畑で30万斤(15万キロ)の食糧を収穫した」と宣伝し、党が「無産階級専制の下で革命を継続する」と指示したら、新聞もすぐ「これは社会主義が永遠に存続することを保障するための百年大計、千年大計である」と褒め称え、「党」が法輪功を迫害しようとしたら、新聞もすぐ「科学を尊び、迷信に反対する」と宣伝するようになった。

 今、人々は「中共の機関紙『人民日報』には、日付以外に真実の情報はない」と言っているが、メディアの力はあまりにも大きく、しかも、「党の代弁者」の刊行物以外には、独立したニュースソースがないため、人々は多かれ少なかれ、中共によって操作されたメディアの情報に依存せざるを得ない。ただ、騙される程度が大きいか小さいかの違いだけなのだ。

 80年代以後、一部の良識あるジャーナリストたちは、台湾が「党禁」(他の政党や政治家の政治活動を禁止すること)や「報禁」(報道統制)を解除して最終的に民主制度を確立した経験を参考にして、言論の自由を求めるために、極めて苦しい努力を強いられてきた。

 現在、中共は経済の領域では「金銭と権力の資本主義」を実施し、教育、医療などの分野は高度に市場化しているが、報道と出版は依然として当局の監獄内にある。もし少しでも「党の代弁者」から脱しようとすると、そのメディアは粛清の運命から逃れることはできない。例えば、「六四天安門事件」当時の『世界経済導報』、或いは最近の週刊誌『氷点』は、このような粛清を受けた。

 中共は現在、民衆たちの怒りを誘発しないよう、それなりに要領を悟った。影響力が大きい刊行物の場合には、以前のように停刊命令を下したりはせず、その代わり監修者や編集者などを「政治的に信頼できる人」に入れ換えるようになった。そうなると。刊行物の名称は以前と同じであるが、その魂は既に死んでおり、その結果、大衆は相変わらず五里霧中となる。

 目、耳、口、鼻、末梢神経などが正常に働いていれば、人は外部環境に合わせて機能調節できるが、もし、それらの感覚器官に問題があれば、火傷を負わせても痛みを感じなくなり、或いは、無感覚を弄んだりすれば、その人は非常に危険な境遇に陥ってしまう。

 1960年代初めに大飢饉が発生した時、至る所で餓死者が見られ、ある地方では人が人を食う惨劇まであったが、新聞はまたホラのスローガンを吹きまくり、「食べすぎは健康に良くない」と説いて人々を惑わせた。2006年春、北京で強い砂嵐が過ぎ去った後でも、テレビ局は相変らず嬉々として戯れ、「洗車業、 収益急増」と報道し、まるで砂嵐が経済成長に刺激を与えたかのような暗示をした。

 中共の代弁者たちは、天災や国民の怨声の中で、「正しく世論を導く」目的を果たすために、もはや出任せまみれになったのである。

 

「お父さん、私を食べないで!」中国で1959年~1962年にかけて起きた大飢饉は、自然災害ではなく、中共の政策がもたらした人災であった。その時期、人々は子供を交換して食べたり、自分の子供を食べてしまったりするケースもあった。中共当局の推計では、その時期に3000万人あまりの人々が餓死した。これは人類史上最大の飢饉である。(挿絵=大紀元)

(続く)