天下を見通す名軍師――諸葛孔明(大紀元)
古代中国の物語

諸葛孔明――彼の妻は本当に醜かったのか【千古英雄伝】

古代中国では、結婚式の際に花嫁が「紅蓋頭(ホンガイトゥ)」と呼ばれる大きな赤い頭巾をかぶる習慣がある。実は赤い頭巾を最初に使った女性は諸葛孔明の妻・黄月英であるという言い伝えがある。

黄月英は沔陽(ミェンヤン・現在の湖北省仙桃市)の役人、黄承彦の娘として生まれた。幼い時から勤勉で兵書(戦術などを記した本)を読み、天文、地理等どの学問にも精通し、文才があり、戦いの策略を立てることに優れていた。

一説に、彼女は大柄でガッシリとした体型だったため、「醜女」とされていたと言われている。また一方では、実は容姿端麗であったためにまわりの若い女性から嫉妬され、その容貌をけなされていたという説もある。しかしながら、彼女はそんなことを気に留めなかった。なぜなら、彼女の中では結婚相手の条件が決まっていたからだ。やがて結婚の時期が迫り、諸葛孔明が博学で人柄もよく、尊敬に値する人物であると聞いた黄月英は、父親にある提案をする。それは、諸葛孔明の心を確かめるために、自分の容貌がひどく醜いと彼に伝えてほしいということだった。

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