韓信(大紀元)
古代中国の物語

韓信――偉大な武将【千古英雄伝】

長い歴史において名を残した人物が、幼少の頃は貧しかったり、虐められたりして苦を嘗めたという逸話がたくさん残っています。彼らはこれらの苦労があったからこそ鍛えられ、偉大な事を成し遂げられたのかもしれません。今回は、韓信という人物の物語を紹介します。

 韓信(紀元前230年頃 – 紀元前196年)は幼少の頃、非常に貧しく、食べることもままならなかった。ある日、腹を空かせた韓信は魚を捕えようと木の枝を竿にして川に糸をたれていた。その近くで綿をさらし始めた数人の女性たちは韓信に目もくれなかったが、そのうちの一人の女性が、汚い身なりの彼を不憫に思い、食糧を分けてやった。

韓信は食糧を受け取ると、女性に喜んで言った。「この恩はわすれぬ。いつかきっと貴方に恩返しをしてみせる」。女性は、いぶかし気に言った。「自分さえ食事にありつけないっていうのに、生意気言うんじゃないよ。あんたに恩返しをしてもらおうとは思ってないよ」。韓信は、あえて反論はせず黙って女性からもらった食糧を口に運んだ。

韓信は成長し、青年になった。武術を鍛錬し、腰にはいつも剣をぶら下げていた。ある日、韓信が道を歩いていると、ならず者の男たちが彼の道を塞いで言った。「何だ、偉そうな刀剣を持っているな。人を殺す勇気が、お前にあるのか?それなら俺の首を切り落としてみろ。でなければ、俺の股下をくぐっていけ」と挑発し、ゲラゲラとあざ笑った。当時、男性が人の股下をくぐるというのは非常に恥ずべき行為だった。

武術に長けていた韓信にとって、ならず者の首を切り落とすなど簡単なことだったが、彼はこのようなことで人の命を殺めるべきではないと思い、男たちの股下をくぐった。そして、彼は何事もなかったかのように、その場を立ち去った。

その後、韓信は劉邦のもとで武将となり、数々の功績を上げて漢王朝の礎を築いた。彼は名を上げて成功すると、幼少の頃に食物を分けてくれた女性を思い出した。彼はその女性を訪ね、恩賞として金貨をたくさん与え、心から礼を言った。また、青年の頃に彼を辱めた男を探し当てた。韓信から仕返しをされると思った男は平伏し、許しを請うたが、韓信は彼に礼を言い、報奨を与えた。韓信は、青年の頃に受けた屈辱や、女性から恵んでもらったことは、すべて彼自身を鍛え、成長させることに繋がったと知っていたのだ。

「韓信の股くぐり」は、絶大な忍の心を持つ偉大な武将の逸話として現代まで伝えられている。

(翻訳編集・郭丹丹)

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