焦点:ルワンダ80万人大虐殺、逮捕された容疑者26年の逃亡劇

John Irish and Tangi Salaün

[パリ 17日 ロイター] – 5月16日早暁、フランス警察の精鋭チームが、まだ眠りから覚めぬパリ北西部郊外にあるアパルトマンのドアを蹴破った。そこにいたのは、1994年、ルワンダにおけるツチ族虐殺に向けた資金提供が疑われるフェリシアン・カブガ容疑者だ。

この逮捕によって、26年にわたるカブガ容疑者の追跡は終了した。捜査当局者によれば、同容疑者は28の偽名を使い、アフリカ、欧州双方にまたがる強力な人脈に頼って司直の手を逃れてきたという。最終的には健康状態が衰え、11人いる子どもの何人かにかくまわれていたが、潜伏場所が明らかになったのも、やはりこうした絆によるものだった。

カブガ容疑者は、ツチ族及びフツ族穏健派80万人の虐殺に関与したとして、7件の虐殺・人道に対する犯罪について告発され、500万ドル(約5億3500万円)もの懸賞金を掛けられていた。それにもかかわらず、どうやってこれほどの長期にわたり発見されずに生き延びたのか。14人の治安当局者・外交官へのインタビューで明らかにする。

「実に驚くべきニュースだった。誰もが彼のことなど忘れていた」と語るのは、20年間にわたり、ルワンダ出身の妻ダフロザ氏と共にルワンダ虐殺の容疑者を追い続けてきたアラン・ゴーティエ氏。

捜査当局は、かつて紅茶・コーヒー産業の大物だった87歳のカブガ容疑者を、フツ族民兵に対する資金・武器の供与と虐殺扇動の容疑で告発している。また自らが共同創業者であるラジオ局を使い、アフリカ中心部の内陸国であるルワンダにおいて民族間の憎悪をあおったとも主張している。

カブガ容疑者は5月27日、フランスの裁判所において、自身に対する国際戦犯法廷による告発は事実ではないと述べた。「私はツチ族を1人も殺していない。私は彼らとともに働いていた」と彼は言った。

警察が踏み込んだとき、カブガ容疑者は、エッフェル塔から車でわずか25分の距離にあるアニエール・シュル・セーヌの1室でベッドに横たわっていた。同容疑者は当初、ルワンダの公用語であるキニヤルワンダ語の通訳に対し、動転している素振りを見せた。彼は中央アフリカで広く使われているスワヒリ語で応対した。自分の名前はアントワーヌ・トゥンガであり、コンゴ民主共和国の出身だと主張した。

だが、国際刑事警察機構(インターポール)による国際逮捕手配書(レッドノーティス)に詳述された、2007年に受けた喉の手術の傷跡が決定的な手掛りとなった。2時間後、DNA鑑定により、自称トゥンガ氏がカブガ容疑者であることが証明された。

80代のカブガ容疑者が喉の手術を受けたのはドイツであり、彼がいつフランスに移ったかはまだ明らかになっていない。現時点では、少なくとも4年間はフランスで暮らしていたことが分かっている。

捜査の内情に詳しいフランス人関係者は、「これまでずっと、我々の目と鼻の先にいたということにひどく困惑している。重く受け止めている」と語っている。

 

<家族の絆>

警察によれば、潜伏先の3階のアパルトマンは、カブガ容疑者の息子アラン・ハブムキザ氏が賃借している部屋で、当該区画の玄関に置かれた郵便受けには、同氏のファミリーネームが書かれていた。警察が到着したとき、その住戸にはもう1人の息子ドナシャン・ンシミュムレミ氏もいた。

同氏はベルギーで暮らしていたが、新型コロナウイルス禍のなかでアニエールに移ってきた。恐らく父親の世話をするためだろう、と捜査当局者は話している。

フランスの法律では、親が逮捕されないようにかくまおうとした子どもは罪を問われない。

近隣住民2人は、カブガ容疑者は3年前からアニエールで暮らしていたとみている。別の住民は、5年はいたと言う。住民らによれば、カブガ容疑者は控えめな印象で、家に閉じこもりがちになっていったという。

近隣住民の1人は匿名を希望しつつ「いつも若い男性か女性に付き添われていた。たぶん彼の子どもだろう」と話す。「弱り果てた様子で、移動も不自由なようだった」

ロイターではカブガ容疑者の弁護団が裁判所に提出した書類を閲覧したが、同容疑者は2016年以来、パリの北にあるボージョンの病院を少なくとも10回は訪れており、毎回「トゥンガ」の偽名を使っていた。

2016年1月25日、カブガ容疑者は脳のMRI検査を受け、その後、胃・結腸の検査も受けている。書類によれば、2019年には2回の手術を受けている。カブガ容疑者の弁護人によれば、娘の1人が通訳として付き添っていたという。

カブガ容疑者の家族は5月29日、報道向けの声明のなかで、同容疑者が昨年結腸切除の手術を受け、また糖尿病、高血圧、認知症を患っていたと述べている。

1994年7月、ウガンダ軍に支援されたツチ族反体制派がルワンダの実権を握ると、数百万人のフツ族が国外に逃れ、カブガ容疑者は当初、スイスに向かった。彼の逃亡過程を追ってきた司法関係者によれば、当時はまだ彼に対する逮捕令状は出されておらず、銀行から資金を引き出したうえでコンゴ民主共和国に向かったという。

カブガ容疑者は1997年、ルワンダ国際戦犯法廷(ICTR)により訴追された。欧州の情報提供者によれば、捜査当局者は同容疑者がケニアで暮らしていると考え、インターポールはケニア警察に対し、繰り返し彼が目撃された場所を伝えている。だが、何らかの行動がとられたという記録はない。ケニア政府は、同国がカブガ容疑者をかくまったとするICTR、米国政府の非難を否定している。

2003年、カブガ容疑者は逮捕寸前にまで至った。協力者の1人、ウィリアム・ムヌヘと名乗るケニア人ジャーナリストが、米国が掛けた懸賞金目当てにカブガ容疑者の居場所を密告しようとした。だが、待ち受ける米国の治安部隊に接触するチャンスを前にして、ムヌヘ氏は自宅で死亡しているのが発見された。カブガ容疑者の足跡はここで途絶えた。

ケニア警察は当時、ムヌヘ氏の遺族に対し、死因は一酸化炭素中毒であると説明した。だが兄弟のムレイティ・ムヌヘ氏によれば、彼は米国主導の作戦を阻止するために殺されたのだと言う。「顔は酸で焼けただれていた」といい、歯形で本人確認するしかなかった。

在仏米国大使館の当局者は、カブガ容疑者の事件について何もコメントすることはないと述べている。

 

<手掛りは病院の請求書>

カブガ容疑者の影が再び浮かんだのは、2007年のドイツである。1994年当時、ルワンダの国家計画相を務めていた同容疑者の女婿、オーガスティン・ンギラバトワレ容疑者がフランクフルト近郊で逮捕された。この事件に詳しい人物によれば、現在ツチ族虐殺を扇動した罪で30年の刑期をつとめているンギラバトワレ受刑者は、カブガ容疑者をかくまっていたという。

フランスにおけるルワンダ出身者の代理として、カブガ容疑者の支援者に対する捜査開始を求めるよう告発を行ったリチャード・ギザガラ弁護士は、近年の同容疑者の所在を知っていたのは近親者だけだったと考えている。

「彼らは、秘密を守る必要があった。カブガ容疑者に掛けられた懸賞金の額を思えば、少数の家族以外に所在が知られれば、情報が漏れる恐れがあった」とギザガラ氏は言う。

10年以上にわたってベルギー、ルクセンブルク、スペインで役に立たない目撃情報しか得られなかったため、ハーグのルワンダ国際戦犯法廷を本拠とするセルジュ・ブラメルツ国連検察官は2019年に方針を変更し、カブガ容疑者の子どもたちに監視の目を注ぐことに決めた。

ICTRの創設を決めた国連決議の番号にちなんだ「955作戦」の開始である。新型コロナ対策のための封鎖措置で欧州の大半がまひ状態に陥ったことで、捜査当局者にとっては、カブガ容疑者の件に全力を注ぐ余裕が生まれた。

フランス警察で人道犯罪対策中央局を率いるエリック・エメロー氏は、「父親を守っていた子どもたちの線は、常にアニエール・シュル・セーヌにつながっていった」と語る。

娘たちの1人は英国・ベルギー間を頻繁に行き来していたが、しばらくパリに滞在することも多かった。携帯電話の発信記録はアニエール地域を経由していた。他の子どもたちからの通話も同様である。

また捜査当局者は、2019年夏、カブガ容疑者の娘の1人ベルナデット・ウワマリヤ氏から、ボージョンの病院宛てに1万ユーロ(約120万円)の送金があったことを突き止めた。

この送金に気づいた情報提供者は「1万ユーロというのは(結腸切除)手術の一時金に当たる額だった」と語る。この人物によれば、残り6万5000ユーロの治療費が未払いのままになっているという。もう1人の情報提供者によれば、病院の記録により、アントワーヌ・トゥンガと名乗る患者であることが分かった。

ボージョンの病院を経営するパリのAP-HPグループは、この事件についてはコメントを控えるとしている。

捜査当局者にとって、この送金はジグソーパズルの最後の1片だった。彼らはボージョン病院から提供されたDNAサンプルとドイツからのサンプルを照合し、カブガ容疑者が使っていたコンゴ国籍のパスポートのコピーも入手した。

カブガ容疑者が合法的なコンゴ民主共和国のパスポートを所持している経緯について同国にコメントを求めたが、当局者からの回答は得られなかった。フランスの外交筋によれば、カブガ容疑者は、欧州連合シェンゲン協定に基づく正規のビザを使い、気づかれずにフランスに入国した可能性が高いという。この点について、ロイターでは独自の裏付けを得ることができなかった。

カブガ容疑者は現在、パリの拘置所に収容されており、その後ハーグまたはタンザニアのICTRに送られる予定である。人権活動家は、彼が再び司法の手を逃れることを危惧している。

「今回の逮捕がこれほど遅くなったことを悔やむしかない。彼の年齢と健康状態を考えれば、戦犯法廷での審理を完了できるかどうか何とも言えない」とゴーティエ氏は言う。

(翻訳:エァクレーレン)

 

ルワンダにおけるツチ族虐殺に向けた資金提供が疑われるフェリシアン・カブガ容疑者、26年間の逃亡の末、フランスのパリで逮捕された。。カブガ容疑者の指名手配写真。5月19日、パリで撮影/Benoit Tessier)

 

 

ルワンダにおけるツチ族虐殺に向けた資金提供が疑われるフェリシアン・カブガ容疑者、26年間の逃亡の末、フランスのパリで逮捕された。。カブガ容疑者の指名手配写真。5月19日、パリで撮影/Benoit Tessier)

 

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