幼い頃に受けた心の傷は、後の人格形成に大きな影響を与えるもの。3歳の時に母親を目の前で殺害された男性が、25年ぶりに心境を語りました。彼はどうやって「負の記憶」を克服したのでしょうか。
事件が起きた日
1992年7月15日、アレックス・ハンズコムさん(Alex Hanscombe) と母親のレイチェル・ニッケルさん(Rachel Nickell)がロンドン郊外にあるウィンブルドン・コモンで犬の散歩をしていた時のこと。草木の茂みの中から見知らぬ若い男性が二人に近づき、アレックスさんを投げ飛ばしました。その後、男はレイチェルさんを地面に倒して性的暴行を加え、何度もナイフで刺してから逃亡。レイチェルさんの刺し傷は49か所に上りました。
当時、もうすぐ3歳の誕生日を迎えようとしていたアレックスさん。一部始終を目撃した彼は「ママ、起きて!」と何度も母親に向かって泣き叫びました。
全く動かなくなった母親を見て、幼いアレックスさんは母親が逝ってしまったことを理解しました。
「胸が張り裂けるような痛みを感じました」「肉体的に、感じたのです」
ずさんな警察の取り調べ
あまりにも不幸な事件に世間が注目し、メディアは連日のようにアレックスさんと彼の父親の自宅につめかけました。真犯人は捕まっていませんでしたが、二人は落ち着いた生活を取り戻すため、フランスへ移住しました。
アレックスさんの目撃情報以外、何の手がかりもないと思われていた婦女暴行殺人事件。急展開したのは、それから16年後のことでした。他の暴行事件で逮捕されていたロバート・ナパー(Robert Napper)のDNAサンプルが調べられた結果、彼がレイチェルさん殺人事件に関与していた可能性が浮上。後の詳細な取調べにより、彼が真犯人であることが分かりました。
一方、警察のずさんな取調べも浮き彫りになりました。レイチェルさん殺害より以前、ナパーの母親は、息子が若い母親ばかりを狙って暴行する性癖について警察に相談していました。また、ナパーを疑う近所の人の通報により、警察は何度もナパーと対面しましたが、彼を拘束するまでには至らず、DNAサンプルの入手も行いませんでした。
更に、警察はとんでもない捜査ミスを犯していました。彼らはコリン・スタッグ(Colin Stagg)という全く別の男性を犯人と特定し、一年以上彼を刑務所に拘束。一方、真犯人であるナパーは、レイチェルさん殺害の後、更に他の女性を襲い、幼い娘と共に殺害していたのです。警察のずさんな取調べによりナパーの逮捕が遅れ、犠牲者も増える結果となりました。
事件から25年後
イギリスで起きた猟奇殺人「切り裂きジャック」に匹敵するほど残忍な事件。アレックスさんは、当時どうやって父親と一緒に苦しみを乗り越えたのでしょうか。
レイチェルさんの死後、アレックスさんの父・アンドレさん(Andre)は、絶望の淵に立たされていました。生きる気力を失い、自殺することを考えました。
ベッドに横になる息子に、アンドレさんは、もう生きていたくないと語り、「お前は生き続けたいかい?」と問いかけました。
その時、幼いアレックスさんは、「僕は生きていきたい」と答えました。すると、アンドレさんは両手で息子を抱きしめて言いました。「お母さんは逝ってしまって、もう二度と帰ってこないけれど、二人で一緒に生きていこう」。幼いアレックスさんの言葉が、父親に新たな希望を与えました。
負の記憶を乗り越えて
アレックスさんは、犯人を「恨んでいない」とインタビューで語りました。
「事件を思い出すたびに、その苦しみを抱えるのはよくないと思ったのです」と穏やかに語るアレックスさん。
「その人を非難したりするのではなく、その人を赦すことにしました。自分のためにその人を赦しました。そうして初めて、自分が背負っているネガティブな荷物を降ろすことができるからです」
そして、彼を常にポジティブな方向へと進ませる原動力は「母の愛」だと話しています。
「(母を)愛していたし、また、とても愛されていました。それが常に私の心を支えてくれたと思っています」
今、母親があなたの前に立ったら、何て言うかしら?というインタビュアーの質問に、彼は「立派に成長したね、と言ってくれるでしょう」と微笑みながら話しています。
(文・郭丹丹)
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