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三国志 ビジネス考

諸葛孔明――部下に仕事を任せるべき?【千古英雄伝】

現代のビジネスパーソンの皆さんは、どこまで部下に仕事を任せたらいいのか、悩むこともあるのではないでしょうか。

それでは三国志の時代、諸葛孔明と馬謖、王平の3人からその仕事ぶりを確認してみましょう。

孔明は街亭という、魏を攻めるために重要な土地を攻略するため、総指揮官として自分の跡継ぎとまで嘱望した馬謖を任命します。

さらに副官として、王平を孔明は任命します。この王平は元々魏の徐晃の下で働いており、漢中と呼ばれる、重要な場所の地理に詳しい人物でした。

このとき、孔明は馬謖に「麓を固める」ように依頼しています。

しかし、現場で馬謖は「麓」ではなく、三方絶壁の「山の上」に布陣しました。

王平は諌めましたが、聞き入れられず、王平の少ない軍だけが麓に布陣し、孔明へこの旨を報告します。

結果、魏軍によって馬謖軍は包囲され、窮地に陥ります。

蜀の軍勢は総崩れ、孔明の采配で全滅することなく撤退したものの、この街亭を手に入れる機会を失いました。

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