これは、消防隊と消防車が大好きな小さなファイターのお話です。ハワイ・マウイ島出身のトラッカー君は、1歳の時に「神経芽細胞種」と診断されました。「神経芽細胞種」は神経細胞にできるがんで、5歳以下の子供に多く見られます。トラッカー君は既にステージ4でした。
治療のためニューヨークに移り闘病生活を続けていたある日、滞在先の宿泊施設でボヤ騒ぎがあり消防隊が出動しました。消防車を見たトラッカー君は、消防隊長ジムさんのもとに駆け寄っていったそうです。
「目をキラキラさせた小さな男の子が走ってきたんだ。両手を広げてその子を迎えたら体によじ登ってきて、首のところにぎゅっと抱きついてね。まるで旧知の友達みたいなハグだったんだよ」とジムさんは振り返ります。
実はトラッカー君の父ジョシュアさんもマウイ島の消防隊員。そんな事もあり、トラッカー君は消防隊と消防車が大好きでした。この出会いを機にトラッカー君とニューヨーク市消防局の交流が始まり、ニューヨークのみならず世界中の消防隊から励ましを受けるようになりました。
トラッカー君にとって一番の名誉は、ニューヨーク市消防局の名誉ジュニア消防士に任命されたこと。がんと闘う勇気が称えられたのです。3歳の誕生日も消防隊員がお祝いしてくれました。「トラッカーったら、自分は本物の消防隊員だって信じてたのよ」と母シャウナさんは振り返ります。
だが両親はつらい決断をします。より有意義な日々を過ごすため、ニューヨークでの治療を断念し地元マウイに帰る事にしたのです。マウイに戻ったトラッカー君は兄弟家族と楽しい日々を過ごしました。同時に、容態は悪化していきました。たくさんの素敵な思い出ができる喜びとは裏腹に、両親にはこの先何が起きるのかもわかっていました。
両足がむくみだし、猛烈な痛みに襲われました。あまりの激痛のため、夜中に30~40回も泣き叫んで起きたといいます。見ていられない程の壮絶な苦しみ。しかし、その最期は穏やかなものでした。「トラッカーは最後に一呼吸して旅立ったんだ。妻の腕の中で本当に静かにね」と父ジョシュアさん。
トラッカー君の死を受けて、ニューヨークとマウイの消防局では出動リストに彼の名前が書き加えられました。その5か月後トラッカー君の墓石が建てられ、父ジョシュアさんは息子宛てにこんな手紙を書きました。
「君の墓石が建てられたよ。でも何回訪れようが君はここにいないんだね。トラッカー、君に会いたい。君のことを考えない日は1日もないよ。君との思い出は何にも代えられないし、君のお陰でより良い人間になろうと思えるんだ。トラッカー、君を愛している。天国で会おうな。」
3年という短い一生でしたが、火事と闘う消防士同様、がんと闘ったトラッカー君はまさに「ファイター」でした。いつまでも力強く、みんなの思い出の中に生き続けることでしょう。
(大紀元日本ウェブ編集部)
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