北朝鮮の児童虐待、国連で議論=ジュネーブ
スイスのジュネーブで10日に開催された国連児童権利委員会(UNCIRC)の会合で、 人権団体は、北朝鮮の児童労働問題を報告した。 親が脱北して残された子どもへの虐待や、北朝鮮での学校での虐待、国策での強制的な無償労働など、北朝鮮の子どもの苦境が明かされた。
報告したのは、国際人権団体ヒューマンライツ・ウォッチと、北朝鮮人道犯罪を止める国際連合(ICNK)、新韓国女性連合、カレブミッションの韓国の3団体。
北朝鮮政府は70年前に児童労働を廃止したと主張しているが、韓国や他の人権機関は、いまだに学生や他の子供たちに、国策での労働に強制参加させていると指摘している。
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