【大紀元日本10月23日】硯(すずり)は中国古代文房具の一つで、文化人に必須の道具であり、紙・筆・墨と共に文房四宝とされる。名品は、時代を超えて現在までもその魅力が褪せず、文房具としてよりも芸術品、文化財として人々に珍重されている。最も有名なのは端渓硯(たんけいすずり)で、上品なものは依然として数百万円で売られている。
端渓硯の産地
端渓硯は端渓石から作られる。その原石は中国広東省の肇慶という町の近くに流れている端渓(たんけい)から採れる。
同じ端渓から採れた石であっても、場所が少し離れれば採れた石の材質が大きく違い、硯の価値も大きく違う。採掘される場所は坑(こん)と呼ばれ、つまり石を掘った後にできた窪みや洞窟で、その材質のランクは坑の名前から分けられている。
端渓硯の歴史
端渓の石が硯に使われるようになったのは唐代からで、宋代には量産され一躍有名になり、このころ日本に渡って来たといわれる。唐代には、竜宕坑・級更杭・黄圃坑の三坑があり、唐代の末期に斧柯山の麓に下岩とよばれる坑が発見されている。この坑は江流に近く、内部には水が充満している。開採するには坑内の水を汲みださなければならず、雨の少ない年や雨の少ない冬期を選ばねばならない。下岩坑より産出した端渓石は前代未聞の美石であり、硯材としての資質も最上のものである。
宋代には、下岩坑以外に上岩坑・中岩坑・半辺岩坑など七坑から端渓石を採掘している。宋代は端渓硯の全盛であり、現在でも宋端渓はたいへん貴重である。
元代に入ると水に浸かった水坑の採掘は一時中断され、山間にある山坑だけが採掘された。
明代になってから再開し、下岩坑は水岩坑と呼ばれるようになる。これを明坑水岩の石と呼んでいるが、やはり玉にもまさる美石である。
清代は満州民族による王朝だが、漢民族の文化をよく取り入れたので端渓の水岩坑もたびたび採掘された。
端渓石の特性
紫色を基調にして美しい淡緑色の斑点を「眼」(がん)という。細かい彫刻にも向き、様々な意匠の彫刻を施した硯が多く見られる。眼の有無、彫刻の精巧さ、色合い、模様などにより骨董的な価値がある。
岩石学的名称から言うと輝緑凝灰岩に属し、もっとも硯石にふさわしい肌理(きめ)、鋒鋩(ほうぼう)を備えている。
また、産出した坑によって、石質・石色・石声などがそれぞれ違う。石質は硯の良し悪しを決定する大きな要因であり、端渓の石はきめ細かく滑らかでみずみずしく、緻密で堅い質を持っている。
清の時代の陳齢は水岩の端渓石が次の八徳を備えていると言う。「寒くても凍らず、水を貯めても減らず、墨をすっても泡が出ず、墨を下ろしても音が無く、墨を貯めれば艶があり、筆の毛を護り、墨を付けても滞らず、久しく経ても色が褪せず」
端渓硯の石紋
いろいろな斑紋があり、天然に出来た魚脳凍・蕉葉白・青花・火捺・天青・翡翠・金線・銀線・冰紋・石眼など約20種の模様がある。
1、魚脳凍は円形・半円形・楕円形を呈し、凍っていた魚の脳味噌のような模様
2、蕉葉白は若い芭蕉の葉っぱのようにみずみずしく、少しみどりがかった白い模様
3、青花は硯石の上に自然にできた青藍色のごく小さな斑点で、大変貴重な石紋の一種
4、火捺はまた火烙とも言い、硯石の上に自然にできた深紅・浅紅・臙脂紅の赤い色の暈斑で、火烙(焼印)あるいは火傷の肌の色合いに似ている
5、天青は瑕も無くわずかに灰白色を帯びた青色の石
6、翡翠は端渓石の中に翠緑色の円または楕円の点、或いは細長い線状がある
7、石眼は文字通り硯石の上に天然に出来た鳥獣の目のような「石核」で、翠緑、黄緑、或いは黄白色を呈して、貴重で珍しい
8、金線・銀線は水岩によく見られ、斜め横に或いは縦に硯石に走っている線状のようなもので、黄色のものを金線、白いものを銀線と言う。成分の化学分析によると金線は酸化鉄で、銀線は石英と炭酸塩類である
9、氷紋水岩は、絶壁の上から滝が流れ落ちているように見える
10、金星点は宋坑特有の石品で、硯石の上に夜空の星のような点が散らばってキラキラしている。金星点は砂の変質したもので発墨しやすいが、手触りがやや粗い
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