新コラム【人生つづれ織り】(1) 看板建築の岡昌裏地ボタン店 店主・岡武夫さん

【大紀元日本9月4日】

 新コラムのスタートにあたって

つづれ織りとは、古代より伝わる織物装飾の一種で、英語で言うタペストリーのことです。この芸術の歴史は古く、古代エジプトや古代中国、南米インカ帝国の遺跡からも作品が発見されています。多くは手作業で織られるため、大きな作品は完成までに数年を要し、一日で数センチしか進まない場合もあります。

つづれ織りのように、異なる形や色、素材を使って、一点xun_齠冾ニいう僅かな一目により人の一生は織り上がっていきます。小さな事を毎日積み重ね続け、時にすべてが台無しになるような難にあっても、やはり人はその手を休めません。

人の一生という名の「つづれ織り」の製作現場を、ほんの少しだけ、このコラムを通じて読者にお見せしたいと思います。

第一回目は、東京・神田で築82年の看板建築の商店を経営する、岡昌裏地ボタン店の店主・岡武夫さんです。

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「この間来たお客にも『この土地で木造一軒屋は贅沢だ』っていわれちゃった」。秋葉原駅(千代田区)の近く、神田川沿い柳森神社斜め向かいに建つ、岡昌裏地ボタン店の店主・岡武夫さん(66)は言う。古い檜と埃の匂いが混じるお店の中には、ボタンやハンガーなど衣料の付属品が端正に並ぶ。世界にも名高い電気街・秋葉原。店のすぐ近くにつくばエクスプレスが走り、超大型電気店がそびえ立つのが見える。築82年・看板建築のこのお店には、発展と開発の著しい街の変化に乗らない頑固さが漂う。

80年代バブル期には「10億円で譲ってほしい」と不動産屋から持ちかけられたが、話に乗らなかった。「この土地が好きだったってことと、商売がうまくいっていたからね。その時売っていれば、今頃左うちわだったかも」と岡さんは当時を懐かしく振り返る。「今でも1億円で、とか話はあるよ。借地じゃないし、駅から近いし、不動産屋にとっては好条件。僕が『はい』と言えばいいわけだけど、どうしてもそうは言えないね」と話す。まるで店と自分の体が一体であるかのような思いが、言葉の末尾に感じられる。

岡さんの瞳は、目まぐるしい秋葉原の変化を見つめてきた。戦後復興期に闇市で男の趣味の街として栄え、やがて電気屋同士の激しい商戦の時期を迎え、昨今ではアニメ・カルチャーが浸透した。「最近は駅もきれいになって、女性にだって来易い場所になったでしょ」と、通りを歩く若い男女に目をやる。

岡昌裏地ボタン店は、2、3階建ての木造建築に防火のために銅板を貼った「看板建築」と呼ばれる建物だ。名づけたのは東大名誉教授(当時大学院生)の藤森照信氏。昭和3、4年の関東大震災復興期に流行ったこの建築技術は、建築家ではなく大工や棟梁が直接デザインを手がけたものが多い。構造的な合理性よりも、その土地に親しんだ職人達の趣味が反映された作品であるため、登録文化財に指定されたものが少なくない。

歴史ある商店であるため、岡さんの所へは歴史建造物研究家や雑誌社、新聞社、観光客、カメラが趣味で撮影に来る人など、さまざまな人が訪れる。東京にある明治・大正・昭和・平成の建築物を紹介するあるガイドブックは、千代田区の近代建築として日本銀行や三越本店と並べて岡昌裏地ボタン店の写真と名前を載せた。「そんだけウチは格調高いってことかな。アハハハ」と、冗談と謙虚さを込めて岡さんは笑った。

「あまり執着しない人間だから」と、岡さんは笑う(撮影・大紀元)

毎朝7時には、6枚の木製の雨戸を一枚一枚開けて、夕方6時ごろには再び立て並べて店を閉める。「父は、木製の雨戸は放火されたらすぐ燃えちゃうから変えたほうがいいって言ってたんだけど、結局変えてないね。今ではみんな、変えないでって言う」と年季の入った雨戸を店主はさする。

地価の高騰したバブル期、神田は今の10倍の地価が付いていた。当時、悪質な不動産業者が強引に土地を手に入れるため、木造家屋に放火する事件が多かった。須田町周辺でも3件の放火事件が起こっており、同じ通りの看板建築・海老原商店は放火により2階部分が焼けた。向かいの柳森神社も15年前に放火されたため、今では柵に囲われて夕方6時以降は入れないようになっている。地上げ狂騒・土地開発の荒波を受け、今や近代建築の商店で営業を毎日行っているのは岡さんのところだけとなった。

お店の屋根の一部には、丸の中に昌と描かれた銅製細工の屋号が掲げられていた。しかし昭和の中ごろ、「古くなっちゃって、歩いている人の頭に落っこちてきたら大変だから」と取り外してしまったという。「あまり執着しない人間だから」と、岡さんは大きく笑った。

店の前を通る隣人に大きな声で「どうも、元気ですか」と声をかけ、店にカメラを向ける観光客には「どうぞ、遠慮なく撮っちゃって」と気さくに答える。80余年の看板建築の店と同じく、岡さんの笑顔は何十億積んでも買えるものではない。

(取材・撮影/西村)