大晦日の夜、なぜ餃子を食べるの?

【大紀元日本2月13日】中国の民間では、「気持ちがいいことと言えば、横たわることで、美味しいものと言えば、餃子だ」という言い方があるように、餃子は中国人のもっとも美味しい食べ物とされている。

中国で言う餃子は普通、焼き餃子ではなく、水餃子のことを指している。中国人の生活がだんだん豊かになるにつれて、餃子はいつでも食べることができる食品になっているが、しかし、むかし祝日とりわけ旧正月の時にしか食べられなかったのである。

大晦日の夜に、家族総出で餃子を作り、食べるのは、すでに中国人(とりわけ北方人)の年越しの定番風景となっており、餃子なしでは年越しにはならないほどである。

それでは、この餃子はいつから始まり、そして大晦日の夜に餃子を食べる縁起はいったい何なのだろうか。

三国時代の魏の張揖著『広雅』によると、当時、月のような型で「饂飩」(ワンタン)と呼ばれる食品があり、それは今の餃子に似ているものである。南北朝時代になると、この「饂飩」が「天下に広がった」食品となった。

研究によると、当時、茹でた餃子だけを食べるのではなく、お湯といっしょに食器に盛って食べたようであった。そのようなわけで、当時の餃子は「饂飩」と呼ばれたのである。

今でも、中国の河南省や陜西省あたりでは餃子を食べるときに、パセリ、ネギ、ニラ、干しエビなどと調味料を餃子湯に入れていっしょに食べるのである。

唐の時代になると、ゆでた餃子を食器に盛って食べるようになり、形も今のようなものになったという。

宋の時代には、餃子は「角子」と言われ、これは後の「餃子」の語源であったという。この書き方は元、明、清の各時代にも見られる。

清の時代になると、餃子の名称はより多くなったが、それは餃子の普及によって地域なりの呼称ができたせいだろうと思われる。

大晦日の夜に餃子を食べるという風習がいつから始まったのかは、なお不明である。史書によると、少なくとも明・清時代にはすでに定着していた。

その習わしとして、大晦日の夜に餃子を作っておき、子の刻(23~1時)になるとゆでて食べるのである。この時は、ちょうど古い一年を送り、新しい一年を迎えようとするおりであり、「更歳交子」(子の刻に年が変わること)の意をとっているもので、かつ「餃子」は「交子」と同音である。そして、一家団欒で餃子を食べながら古い年を送り、新しい年を迎えるのは、「喜ばしい団欒」や「吉祥如意」などのめでたい寓意も含まれているのである。

(翻訳編集・小林)