【大紀元日本11月27日】「覚悟」とは読んで字のごとく、「迷いから【覚】め、真理を【悟】る」ことで、元は仏教用語ですが、日常生活の中で使われるにつれて、意味が変化しました。
現代日本語では、普通、悪い結果を予想してあらかじめ心構えをしておくという意味で使われます。「父は平気なうちに、自分の死を【覚悟】していたものと見える」(夏目漱石『こころ』)などがそうです。
この「覚悟」は、自分の死を悟り、そのときのための心構えをしていたということであり、本来の「目覚め悟る」義からの派生であることが十分読み取れます。
また、日本語では、「とてものがれぬところじや。覚悟せい」(狂言『武悪』)に見られるように、「観念する」という意味で使われることがありますが、それもまた、逃げられないということを【悟れ】というところから来ていると考えられます。
一方、現代中国語の『覚悟』は、本来の「目覚め悟る」義を色濃く残していますが、「悟る」対象が、広く一般に物事の道理や過ちでもありうるという点で、仏教用語としての『覚悟』とは大きく異なります。どちらかというと、「自覚する」といった意味合いで使われます。そして、『覚悟』を名詞として『覚悟高』のように使えば、「意識が高い」という意味になりますが、その際の「意識」とは共産党の思想や路線に対する意識・自覚ということであり、仏教でいう真理とは程遠い、生臭いものを指すことになります。
(智)
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