≪縁≫-ある日本人残留孤児の運命-(18)「苦難の逃避行」

義勇軍兵舎

 日が沈み、周りは暗くなり始めましたが、前方にはまだ何の建物も見えず、至るところ林でした。大隊を率いる人が、今晩早いうちに目的地にたどり着くために、道を急ぐよう、皆を励ました。

 皆も暗くなるにつれて、緊張感が増し、歩くスピードを上げました。全員本当に頑張り、知らない内に又1つの山に登りました。その山頂から下りれば目的地だそうです。ただ、暗闇の中では何も見えず、かすかに話し声が聞こえるだけでした。坂を下るとき、私たちはいっそうスピードを上げました。

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私は左右の手で一人ずつ弟の手を引き、3人で横になって山を一気に下りて行きました。そこにはすでに何人か大隊の人が私たちを待っていました。後ろを振り返ってみると、隊列は今朝ほどにはかたまっておらず、人がバラバラと下りて来ており、まだ山の上まで来ていない人もいるようでした。
その日の夜、馬蓮河屯に着きました。そこはとても大きな村で、西には牡丹江から図們(トゥーメン)に行く直通汽車が走っており、南には大きな河・馬蓮河があり、鉄道の東側、村落の外にはまた小さな川があり、村の人々は皆その川で洗濯し、子供たちはそこで水遊びをして遊んでいました。
しかし、新たな嵐が密かに私たち家族に忍び寄り、私たちのすべてを奪い、家族の運命を決めたのです。
伝染病の流行 しかし、この時期、全ての人にとって、さらに恐ろしい災難が降りかかろうとしていました。この頃になると、人々はすでに明らかな栄養失調になり、体力は衰弱しきっていました。加えて、着替えの服がなかったので、衣服にシラミが発生しました。そんなとき、恐ろしい伝染病が流行し始めたのです。
生まれたばかりの弟の死 すでに十月に入り、次第に冷え込んできました。団長はすでに段取りを済ませ、開拓団全員をひきつれて沙蘭鎮の王家村に帰り、そこで冬越えをしようとしていました。これは、私たちにとって三回目の逃避でした。今回の移動は主には寒さと餓えをしのぐためのもので、相変わらず死の危険が私たちに付きまとっていました。
11月に入ってから、急に冷え込み始めました。日中の時間も次第に短くなってきました。ソ連軍がしょっちゅう家に押し入ってきて、女性を連れて行くという噂を耳にしました。ある人などは、ソ連軍に連れて行かれないように顔を黒く塗り、男か女か分らなくしました。
第四章 独り暴風雨の洗礼に直面する 母、弟たちとの永遠の別れ 私が孤児になる運命がすぐそこまで近づいていようとは思いもよりませんでした。運命の手が今すぐにも、慈愛に満ちた、いつも私の命を守ってくれた母と、これまで互いに助け合ってきた二人の可愛い聞き分けのいい弟を、私のそばから永遠に連れ去ろうとしていました。