【エッセー】目に見えない優しさ

人生には到る所に停車場があり、そこで手を振れば、永遠の別れとなる。とりわけ、姉の夫が亡くなってから、私はいっそう人生の意外さともろさを感じるようになった。生き生きとした若い生命が、突然私のそばから流水のように流れ去るのを目にして、そのショックと驚きから、私は急に「成長」したのである。

 姉は私にこんな話をしてくれたことがある。ある人がお兄さんに「君が人生で最も幸福だと思うのは何だろうか?」と尋ねたとき、お兄さんはじっと考え込んで、「彼女を得たことだ」と答えたという。姉が言うには、お兄さんは決して思いやりの言葉などかけてくれたことがなかったが、当時の真剣な表情を思い返せば、却って永遠に忘れられなくなったという。

 お兄さんはコーヒーが大好きで、結婚したとき姉に、「ご飯が作れなくてもいいが、コーヒーだけは入れられるようになってほしい」と言ったという。

 お兄さんは、決まってデパート近くの「コーヒー挽き売り」店に行くことにしており、そこへ行けば、何も言わなくても店員が豆を挽いて包んでくれる。あるとき姉がその店に入ると、店員はよそよそしく愛想ない応対をした。そのとき、背後からお兄さんが姿を現し、店員にペコリと頭を下げ、姉を指さして、「私の妻です」と言った。すると、店員は大いに恥入り、姉に先ほどの応対を詫びたのだった。

 「お兄さんは、お姉さんに対する店員の態度をずっと見ていたの?」と私が聞くと、姉は「勿論、彼はずっと肝心なところを見ていてくれたの」と答えた。

 私は心の中でつぶやいた。「そうだ。『愛しているよ』と口にすることだけが優しさじゃないんだ。目に見えない優しさだってあるんだ」。そんな優しさを秘めたお兄さんが逝ってしまった。「さよなら」の一言を言う間もなく。

 地球は休むことなく回っている。でも、次の瞬間、誰の心臓の鼓動が止まるかなんて誰にもわからない。次の交差点でどんな交通事故が起こるかなんて知る人はいない。

 私たちは、身近にいる人を、そして知らない人をも大切にしなければならない。一分一秒を大切にしなければならない。私たちは、日々の生活の中で、生命の一滴一滴を、そしてささやかな幸せをどんなに無駄にしていることだろうか?

 今からでもいろいろな事をやり、いろいろな約束を果たす時間はある。生命の中の目に見える、或いは眼に見えない優しさを大切にすることができさえすれば、後悔することもなくなるだろう。
 

(翻訳;太源)