【大紀元日本9月16日】【奇貨可居 qí huò kě jū 】奇貨おくべし。珍しい良い品は、あとで利を生むから大事にする。珍しい財物は蓄えておいて、高い値段になるのを待つのが良い。→絶好の機会を逃さないようにすること。
戦国時代、当時の諸国は王子を人質として交換し、同盟を結んでいた。秦の商人・呂不韋(りょふい)は、趙の都・邯鄲(かんたん)で商売をしていたとき、秦昭王の孫・子楚(後の秦庄㌶王)が趙に人質として預けられているのを知った。しかし、秦は趙にたびたび攻め込んでいたため、趙は子楚を丁重に扱わず、ゆえに、子楚の生活は困窮していた。呂不韋は、その様子を見て気の毒だと思い、「奇貨可居」とつぶやいた。
紀元前250年、秦昭王の子の秦孝文王が王位継承したが、正妻の華陽夫人には子供がなく、そのため世継ぎは決まっていなかった。子楚は、孝文王の十数人の子のうちの1人ではあったが、世継ぎになるには不利な立場だった。しかし、呂不韋は、もし子楚が王位継承できれば、自分も利を得るだろうと思って、大金を使って、華陽夫人の弟陽泉君を買収し、ついに子楚を秦の王にすることに成功した。結果、自分は丞相(首相)となって国政を執ることになった。
今日の中国は、「世界の工場」と呼ばれるほど製造業が盛んである。その理由として、安い人件費、外資の資本投入と、安い人件費が要因の安価な製品輸出の拡大がある。大幅な貿易黒字を記録しているので、廉価な労働力が中国政府にとっては「奇貨可居」と言えよう。一方、共産党幹部や政府の役人たちは腐敗や贅沢に走ったり、大衆から遊離し、汚職や背任行為に走ったりして、民衆の蓄積した不満はわずかなきっかけで爆発するほど高まっている。
出典:『史記』
(編集・縁修)
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