【大紀元日本8月30日】明朝の頃、楊秀貞の母親は立て続けに三人も女児を生み、息子に恵まれなかったばかりか、第四子もまた女児であった。母親は癇癪を起こし、女児を溺死させようとした。当時13歳の楊秀貞は、急いで妹を抱きかかえ、母親に跪いて哀願した。「お母さん、男子を得るために妹を殺したら、ますます男子は生まれなくなります。もし嫁入り道具でお悩みなら、私の分をこの妹に譲ります!」
祖母は彼女をしかり、聞こうとしなかったが、秀貞は跪いて祖母に告げた。「おばあさんは毎日、念仏をあげていますね。今死に直面した妹を見て救わないとしたら、念仏とは何のためでしょうか?」祖母はひどく感動し合点がいったので、女児を育てることにした。二年後、果たして秀貞の母親に男児が生まれた。
母親に男児が生まれるとき、秀貞の父親は祖父の夢を見た。夢の中で祖父は、父にこう告げた。「もし第四子の女児が生きていなかったら、この男児は決して生まれてこなかった」。秀貞が当時跪いてお願いしたからこそ、その至孝が天を衝き、家系が繋がったのだった。
(正見ネットより転載)
(翻訳・甘樫)
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