韓流の源、韓国国民の精神にあり
【大紀元日本5月15日】90年代に入るまでの韓国文化は、日本、米国、香港、台湾などの文化的洗礼を受けて、韓国人自ら、自国の文化をレベルが低く三流だと考えていた。ところが、1997年のアジア通貨危機で、韓国は相当な打撃を受け、当時の韓国国民は、箪笥預金や金銀財宝などを国家のために献上した。韓国政府は、この「献金運動」の背後にある巨大な精神的エネルギーと人間性の耀きを目の当たりにし、韓国文化を盛んにしようと決意した。
今日、韓国は文化輸出大国として急速に成長している。統計によると、2004年韓国の文化産品は、世界市場で3.5%の売り上げを記録、あっという間に世界第五位の文化産業強国に躍り出た。
韓流が流行するにつれて、韓流文化もまた人々の日常生活に徐々に入り込んだ。「チャングムの誓い」が放送されると、各都市の韓国料理が見直されただけでなく、韓国料理レシピを学ぶこともファッションになり、果ては、韓国の宮廷女官の生活を体験し、その伝統文化を理解するパック・ツアーまで企画された。
「チャングムの誓い」にみられる宮廷料理は、医食同源の道であり、視聴者の宮廷レシピに対する探求心と好奇心を満足させるものであった。「チャングムの誓い」ブームが徐々に浸透するにつれ、関連小説と旅行パンフも発行され、「チャングム海苔」「チャングム・キムチ」などレシピ本もまたベストセラーになった。一介のテレビドラマが、なぜこのように絶大なパワーをもつのだろうか?結局のところ、韓流を構成している要素とはどのようなものか?
金融危機後の「献金運動」
人類の文化芸術史を回顧してみると、世界でベストセラーとなった不朽の名作というものは全て、目にも鮮やかな人間性の耀きに満ちており、その光が驚天動地の如きものであり、同時に平凡な日常生活を題材に描かれているものだ。その効果は、一様に人々を深く感動させる。
韓国政府が韓国文化産品を推進し、韓国文化を再興しようと決心した初動の力は、人間性から来ている。韓国政府は、アジア通貨危機後の「献金運動」の背後にある巨大な精神的エネルギーと人間性の耀きを、伝統文化によって表現し、韓国文化を振興しようとした。
当時の韓国大統領であった金大中氏は、積極的に文化事業を展開して経済を転換し、文化を21世紀の最重要事業と位置付けた。通貨危機後に韓国政府は、多くの部門をリストラしたが、文化部だけは却って増強した。文化部は、1998年に香港へ視察を行い、香港人の撮影技術を研修し、自らの作品に組み込み、国家の映像文化を普遍的なものとし、保護政策を打ち出したことによって、韓国の映像文化は急速に発展した。
韓国人は独自の文化的要素を内面に堅持する
ハリウッド映画や香港の武侠映画とは違い、韓国のテレビドラマには、暴力と色情のシーンがなく、これが却って視聴者の共鳴を集めている。では、韓国のテレビドラマはどうやってこの一点に到達したのか?
中央大学韓流研究院院長で、「韓流故事」の作者・姜哲根氏は、韓国で最初に韓流を体系化した人で、著名な韓流専門家である。その指導下にある韓流研究院もまた、韓流を専門に研究する最初の機関として、内外から注目を集めており、2005年には1年間に100回以上もインタビューを受けるとともにシンポジウムも開いてきた。
同院長によると、現在の人々は、人間性や、他人に対する献身的精神、女性に対する思いやりなどを徐々に失いつつあり、それを表現するのは、監督にとって非常に難しいことであるが、韓国ドラマは視聴者に、純真な愛情の概念を提示することに成功したという。その最も代表的なものが「冬のソナタ」と「チャングムの誓い」である。
同院長によると、韓国人は一途に守ってきたがことばでは説明し難いものを持っており、表面上では西洋文化の表現形式をまねているものの、韓国人の思考を経ることによって、韓国の伝統的な要素が注入され、人間性やムードにおいて、韓国人固有のものを包含することになるという。そしてこの内に包含されるものによって、韓国ドラマが周辺のアジア各国で感動を呼ぶことになっているのである。
同院長によると、この種の人間性の耀きがあるからこそ、韓国ドラマには暴力と色情のシーンがなくても、同様に世界規模で人々の共鳴を呼んでおり、韓流は米国でも成功しうるという。
儒教文化の精髄を貫く
2006年5月14日、200人の韓国人と外国人が成均館で科挙の試験の再現儀式に参加(Getty Images)
伝統的な儒教風成人式に参加する20歳の若者たち
「チャングムの誓い」の李丙勲監督によると、韓国ドラマがヒットした理由の一つは、作品全体が儒教思想が教える人間性と文化的精髄で貫かれており、その要素を、血肉の通った人物として描き出された主人公によって、芸術を通じて見事に再現したことによるという。
中国作家協会会員で、遼寧省文学院の契約作家でもある張宏傑氏によると、「韓流の主たる表現媒体である韓国ドラマが大衆を引き付ける要因は、それが人間性を直視し、愛情、親の情、友情の三大テーマを用いて、人生のひきこもごもを演出しているからだという。張氏によると、韓流は表面上新しいブームのようであるが、内面に秘めるものは却って保守的で素朴であり、東方文化の根源を有しており、社会に有益な人間性の伝統に満ち溢れ、同時に健康的で、自然で、誇張せず、奢らず、騒ぎ立てないという。
ある韓国の学者によると、IT産業は韓国の実力を示し、韓流文化は韓国の魅力を示している。そのうまく調和の取れた魅力が国家、民族のイメージを高揚するために重要なのだという。
韓国特有の「情」「恨」
韓国国際文化事業団の事務所長・劉在淇氏によると、もし韓国文化を理解したければ、キーワードは「恨」と「情」であるという。
この二つの字の概念は表面上漢字が表わす通りだが、韓国では意味が少し違っている。同所長の説明によると、もし韓国で皆が空腹である場合には、一粒の豆でも百等分にして皆で分けて食べるのだという。情があるため、どんなときでも周囲の人たちと良好な関係を保ちたいと願うのであり、情が濃いからこそ、経済危機に際しても、自発的に自己財産である金銀財宝を寄付することができたのである。
かつて韓国ドラマ「ごめん、愛してる」の中でテーマソングを歌った鄭在旭氏によると、韓国ドラマが大衆に受けたのは、韓国の俳優がその役柄の中で登場人物の魅力を演じきったからだという。
視聴者から感動の声
中国のネチズンたちが「チャングムの誓い」を視聴後に寄せた感想から、多くの人が人間性の耀きに魅せられ感動した様が伺える。
「チャングムの誓いは、人への愛情、寛容、恨まないこと、懺悔、贖罪、犠牲、エゴを捨てることなど、偉大な道徳的精神に満ち溢れており…すでに人類文明上の貴重な遺産だ」
「チャングムは、自分の母親を殺した仇(崔尚宮)まで治療しようとした。これは世俗を超越した道徳的度量で、普通の人には真似のできないことだ」
「劇の最後で、チャングムは栄華富裕の道を選ばず、民間に下り、引き続いて医術を学び人を救った。これは、世俗の権力、名誉と地位、財富の誘惑を超脱していることであり、人を救い済世を選んだことは、敬服に値する」
「韓国のドラマは日常的なシーンにほんとうに情趣があり、色情と暴力がなく、家庭内部の人間関係をうまく描いている。それらの流行は、実はわたしたちが内心から願っていることであり、私も喜んで観ている」
「このドラマがこれほど魅力的なのは、俳優と監督の技量も大いに関係している。彼女たちの演技は私の魂の髄まで揺さぶった」
「ドラマで描かれている社会秩序や日常生活の体験の中に、中国社会ではすでに失われている点が多く見られる。家庭内の茶飯事にあれほど情趣があり、家族間にあれほど結束力があるとは、思いもよらなかった。これらの感覚は、正に日常生活に密着したものであり、とても味わい深い。…生活や未来に対して大いに啓発されるところがある。中国のテレビドラマにはこの種の感覚はない」
一切の検閲制度を廃止
韓国ドラマのために文化面の知識を提供する、韓国政府資源文化原形発掘特別案件の参与者であるハートコリア(HEART KOREA)社社長・崔陸相氏によると、中国はかつての文化的宗主国であったが、現在では文化的な潮流を興す力はなくなっている。その主な原因は、政治制度上の問題だ。中国には(映画になる)素材が多いものの、韓国のように思想の自由とか、自由に活動できる空気ではなく、芸術家が自由に考えて活動できない。国家がいちいち全てを統制したり、制裁を下したりすれば、絶対に文化方面では新しい創造はできないものだ。
「チャングムの誓い」の李監督によると、韓国政府は文化事業を発展させるために、充分自由な環境を創り出した。政府が一切の検閲制度を取り止めたため、各映画会社は本来的な持ち味を取り戻し、映画の創作、製作、放送、輸出等、全てを民間主体で計画することができるようになり、政府はそれに一切干渉したり指示したりしなかった。
しかし、政府が厳しく管理する点が一点だけある。ある映画作品が公開後に、社会によくない影響を与えたりすれば、政府はすぐに懲罰を下す。目下、政府から懲罰や警告を受けている文化的ソフトは1%にすぎない。
韓流に翳り、内容の深みを軽視が原因
一部では、韓流が下火になりつつあることが指摘されている。前出の劉氏によると、大衆に感動を与える新しい作品が出ていないことに加え、製作関係者の皆が、商業的利益にとらわれすぎたのが原因であるという。
「チャングムの誓い」の李監督によると、海外で反響を呼んだ韓国ドラマや映画は全て、国内で最も人気のあった優秀作品だ。「私がチャングムの誓いを撮影した際には、輸出のことなど頭になく、いかにうまく撮るかしか考えていなかった」と述懐している。
崔陸相氏によると、韓流が下り坂にさし掛かっているのは、韓流文化現象の中でその内容的な奥行きを重視しておらず、俳優の演技に頼っていたからだ。一人の俳優の人気はそう長続きはしない。もし奥行きのある情趣や内容を重視すれば、誰が演じようが歓迎されるはずであるという。
韓流研究院院長の姜哲根氏は、表面的な現象だけを見てはならないとし、韓流が一陣の風のように過ぎ去った現在、それはすでに、衣服、礼節、飲食などの面で、各国の人々の日常生活方面に溶け込んでいると指摘する。そして、朝目が覚めてから夜寝るまで、全てが韓流の生活であると語った、ある精華大学の教授の話を紹介した。
姜氏はまた、韓国は「反韓流」など何も気にすることはないと考えている。文化は自然に浸透するものであり、中国のように制限しようとも、制限しきれるものではない。韓国は特にこれといったことをする必要はなく、ただ着実に自分のいい作品をつくることだけを心掛けていれば良いという。
どのような芸術形式であろうと、どのような文化から来たものであろうと、人の魂を震撼させるものは、その背後に人類が普遍的に認める道徳的な耀きが隠されているものである。