元中国中央バレエ舞踊団員、「中国の伝統舞踊とは何か」

【大紀元日本3月31日】新唐人TVが主催する第一回「全世界中国舞踊コンテスト」が、5月20-27日の間ニューヨークで開催される。世界的な中国語ブーム同様に、この活動が、中国舞踊へ世界の人々の注目を集めている。

中国中央バレエ舞踊団でプロの舞踏家として活躍した李金曼女史が、中国と西洋の芸術スタイルならびに民族文化の審美感の違いの観点から、中国舞踊に対する理解といかに中国舞踊を鑑賞すべきかについて語ってくれた。

同女史は、1967年に北京舞踏学院を卒業し、中央舞踊バレエ団でプロの舞踏家として30年近く演技、その後海外に移住し、ここ数年は、新唐人の「全世界華人新年祝賀祭」の技術指導と準備に携わっている。2007年の祝賀祭では、同女史の演技指導による「チベット族の踊り-雪山白蓮」が、その優美で奔放かつ情熱的な韻律によって、北米、欧州、オーストラリア、アジアの巡回公演で、多くの観衆の心を掴んだ。

「雪山白蓮」:チベット族の少女の可憐な笑顔と善良な心は、雪山にひっそりと咲く白蓮を思わせる。(撮影=馬有志/大紀元)

同女史は、東西の二つの異なる芸術スタイルならびに文化を背景とし、建築と絵画の芸術的角度から、バレエに代表される西洋舞踊と中国舞踊の特徴について語った。

同女史によると、民族文化が異なれば、芸術スタイルや審美感も異なる。中国文化の特徴は人の表面的なものではなく、内面世界や趣、道徳に重きが置かれ、文化の融合、並存と天と人の一体性を重んじる。これに対し、西洋芸術は人の表面的な文化を強調し、物質、実証科学と宗教を重んじ、技能を高めることを特に重視する。

西洋芸術のスタイル

同女史によると、例えば、西洋の伝統建築は、煉瓦のような石の塊でできており、彫刻的な特徴を持つ。平面的もしくは立体的な形態に着目し、見る人に何か冷たく直線的で厳粛な感じを与える。西洋の絵画は、表面的な技法の点で、構図、透視、明暗のコントラストの正確さを重んじ、迫真の写実的効果が求められる。

翻って舞踊に関してみると、バレエの舞踊は、技巧的な訓練に関しては非常に厳格で、整った一つの体系があり、身体の一つ一つの筋肉が練り上げられる。動作の種類は限られており、四肢の動きを多用し、線は明瞭で直線的である。力学と解剖学に基づいて訓練が行われ、動作は固定化され、非常に厳粛である。バレエでは奥深い趣は重んぜず、基本動作がきちんとできていればよい。内容の面では、伝統的な演目が主であり、創作を加えるのは難しい。

東洋芸術のスタイル

同女史の紹介によると、東洋の伝統建築は木で造られており、木造建築においては眺めの移り変わりや池に掛かる橋、あずまやと楼閣を大切にし、曲折迂回するとぱっと景色が変わるといった奥深い趣を重んじる。中国の絵画も趣と奥行きのある表現を重視し、人に想像の広がる空間を提供する。例えば、斉白石が海老を描くときは、余白を残すことによって、水を描かなくても、海老が水中を泳ぐさまを感じさせうるのである。

同女史によると、奥深い趣こそが中国舞踊の特徴であり、それは手や腰の動きや、上半身の豊かな表現に現れ、手、眼、身体の動きを重んじ、小刻みな歩法による円形の動き、細かな表現、迂回した跳躍、「左に行こうとすれば、まず右に」と、バレエ舞踊のような直接的な感覚とは異なる。

今年の新年祝賀祭で演じられた中国東北部の舞踊「虹」では、演者が色鮮やかなテープを躍らせる様は、中国画に見られる流れるような芸術、筆で描かれたような、流暢で活き活きとした感覚を覚えさせたことであろう。それは花にも見えるし、流水、流れ行く雲、鮮やかな虹にも見える。各種の色鮮やかな美しい造型が、観客たちの想像を掻き立てる。

「虹」:宙を舞う色鮮やかなテープが、歓楽を天上と三界に降り注ぐ。(写真:大紀元)

また、舞踊「草原牧歌」では、舞台の上に馬はいないが、演者の一挙一動、軽妙で模写的な一連の動作によって、蒙古の少年たちが草原で鞭を振るって馬を疾走させ、美酒で乾杯する爽快な場面が想像される。これらは、中国画の余白を残す手法と同じである。

「草原牧歌」:勇壮で豪快な気概の放牧少年たちが、駿馬に乗り勢い良く果てしない広いモンゴルの草原を疾走する。踊りは明るく強靭さが現れている。(写真:伊ルォ遜)

中国舞踊の「精」「気」「神」

同女史の紹介によると、中国舞踊は中国古典舞踊とも称され、ずっと民間で伝承され、壁画、文字、出土した芸術陶器の中から霊感を得てきた。系統的な教学も理論もなかったが、50年代以降に正式な中国舞踊の教学が始まり、戯曲、武術、太極拳などの動作が加えられ、舞踏の中に跳躍、回転などが加わって、内容は多彩豊富となった。

中国舞踊の特徴は、舞踏の動作と姿態を意味する「身法」と、舞踏の奥行きと趣を意味する「身韻」である。同女史によると、身韻は、中国舞踊の精華であり、それは「精」「気」「神」の中に体現される。

「精」とは、演者の精神的な内面の現われであり、喜怒哀楽の表情、視線の使い方、内面の情感の伝達の仕方である。演者はそれによって、演目の奥行きと深さを表現する。京劇で見られる「見栄を切る」というようなものだ。

「気」:中国舞踊は呼吸を重んじ、ある種の内面的な力を表現する。内在する気を思いのままに巡らせ、行く雲・流れる水のように、一気呵成に舞う。舞踏「花仙」では、演者はハスの花が蕾から次第に開花する様を、気を巡らす中で表現している。バレエでは、呼吸を重んじることはせず、ただリラックスするよう教えるだけである。

「神」:奥深い趣とは情緒の現れである。身法とは舞踏の外形で、身韻は舞踏の魂だ。演者が舞踏の奥深い趣をきちんと表現できるどうかは、身韻が鍵となる。それには、動作が正しくできているだけでなく、作品に対する理解と感覚がきちんとできており、舞踏の動作が途切れなくつながり、各動作を自在に操ることができなければならない。

舞踏を鑑賞する際には、演技指導者と演者が何を表現し、どのような情報を伝えようとしているのかを見るべきだ。歓楽なのか愁い悲しみなのか、勧善懲悪か、「忠」か「孝」か、天地崇敬か、女性の柔和か男性の剛直さか、過去を憂うのか将来の展望なのか等々、これらはすべて神の一部分である。

同女史によれば、中国には5000年来の歴史があり、広大な世界には取り上げるべき題材も多いが、中国舞踊は包容力を持っており、様々な人物の特徴、民族風俗と文化、社会階層を演じることができる。

同女史は、「高品質の舞踏とは、単に娯楽に偏重したものであってはならない。人々の美に対する正確な感受性は、人の道徳的基準と密接な関係があり、芸術家は世間の風潮に迎合してはいけない。光明であり、正しく、純粋で善良かつ美しい舞踏の奥行きを表現することこそが、われわれの責任である」との認識を示した。

同女史は最後に、「新唐人の新年祝賀祭が、わずか数年で全世界において成功と支持を集めることができたのは、その関係者たちが中国5000年来の伝統文化の正統性を堅持してきたからだ。今回のニューヨークでの舞踏コンテストでまた一層、世界的な中華文化ブームに拍車がかかるだろう」と期待を口にした。