【大紀元日本2月11日】お遍路さんに出かける決心は、十人十色。昔も今も「先祖供養」が、発心のトップです。現代では「自分探し」が、第二番目にランクされています。
日本ではお爺さんや、お婆さんの名前を一字とって、孫を名付ける風習がありました。現代でも両親の一字を選んで名付けることがあります。何故でしょうか?
古い日本の霊魂観によると祖先の霊は、同じ家系に生まれ変わってくると考えられていました。お爺さんやお婆さんが、孫に生まれ変わってきても不思議ではありません。自分が生んだ子どもを両親として、その子どもになることを目指して祖先が転生します。
祖先は親であり子どもでもありうること、そんなふうに思われていました。こうしてお爺さんやお婆さんの能力や知恵が、血脈を通じて譲り渡されます。祖先の名前の一字を戴くことは、太古の秘儀伝授の遺産です。世界の民族の多くに、これとよく似た古代の考えの痕跡があるはずです。
祖先とは連綿と続く血脈の大いなる流れです。かつては純潔な血を乗り物として、祖先の思いと霊的能力が子孫へと遺されました。しかし純潔な血はやがて不純となって、秘儀の伝統は廃れます。祖霊信仰からまず家庭が、そしてやがて個人が剥がれ落ちてゆきます。
純潔な血の源泉を回復して祖先の思いを継承することが、祖霊の願っている本来の意義です。先祖供養の発意には、どこかそんな根っこが気づかれずに潜んでいます。先祖供養を願って旅立ったお遍路さんは、「祖先の源泉に連なる自分探し」を通じて、古き日本に出会うのです。
しかし現代の私たちは祖霊の血脈という大いなる連鎖から、個人の心がはぐれてしまった時代を生きています。祖先や家庭との血縁の縛りが、どこかで解けてしまったのです。これが現代人の心の危機のみなもとです。心の絆を繋ぎとめる何かを探し当てたいと、魂の危機に直面した人たちの自分探しが、今の時代のお遍路さんブームを彩っています。新しい日本に出会う旅がどこかで始まったのです。「古き日本と新しい日本」が、お遍路さんの中で一つとなる「日本再発見」の槌音が四国から、ほら聞こえてきます。
*先月23日、文化庁はユネスコに提出する暫定リスト、「世界文化遺産登録追加候補」国内四件を発表しました。「四国八十八ヶ所霊場と遍路道」は選ばれず、継続審議となりました。これで整備する課題と目標が明瞭となり、四国四県の遺産化活動は結願成就までますます本格化して続きます。
ご利用上の不明点は ヘルプセンター にお問い合わせください。