【大紀元日本11月18日】【塞翁失馬 Sài wēng shī mǎ】塞翁が馬。災いが転じて福となる。人生の吉凶禍福は定まりがたく、予測できないこと。
昔、北の国境の近くに、老人が住んでいた。老人は、飼っていた馬の一頭にわけもなく逃げられてしまった。人々は惜しいことだと慰めたが、老人は「これが悪いことだと何故わかるのだ?」と言った。
案の定、数カ月経つと、逃げた馬が一頭の駿馬を連れて帰ってきた。近所の人たちは皆喜んで祝いに来たが、老人はまた「これが禍にならないと何故わかる?」と言った。
その後、老人の馬は次第に増え、生活も裕福になってきた。とある日、老人の子供が落馬し、骨折して足が不自由になった。人々は皆悲しんで見舞いに来て、慰めの気持ちを表し、気の毒に感じたが、老人は「これが悪いことだと何故わかる?」と言った。
一年後、北方の異民族が侵入してきたので、健康な若者は皆戦場に赴き、酷い戦いの中、殆んどの人が戦死した。ところが、その子は足が不自由だったため、戦いに行かずにすみ、運良く難を逃れた。
この物語によると、一時の損は得に変わるかもしれないし、また、福と禍は、一定の条件の下で、互いに転化するかもしれないということになる。つまり、目先の利益ばかり見てはいけないし、利の為に手段を択ばないということをしては尚更いけないということである。
出典:西漢・劉安《淮南子・人間訓》
(編集・縁修)
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