原因不明の疫病、モンゴルの家畜が大量死亡
【大紀元日本6月9日】モンゴル緊急状況総局は、モンゴルの中ゴビ砂漠省(Dundgovi)で、6月初めに起きた原因不明の疫病によって四百余りの羊が相次いで死亡したと発表。
新華社の報道によれば、モンゴル緊急状況総局の責任者は、6月に入ってから、中ゴビ省の二つの県で幾つかの牧畜民の牧場の羊に発熱、食欲不振などの症状が現れ、2-3日後に死亡したケースが相次いでいると報告した。現在、既に二十数箇所の牧畜民の羊の群れが感染していることを発表。しかし、人に対しての感染はまだ出ていないと話している。
当責任者は、緊急状況総局が既に専門調査団を現地へ派遣したと話し、今回羊が感染した菌は、炭疽菌ではないことが分かった。しかし、羊が死亡した原因についての調査結果はさらに数日間を要すると話している。
関係当局はこれらの地区に対して、車両及び人の出入り、家畜の流動を禁止するなど厳戒態勢を施し、疫病拡大を阻止しようと試みている。現在、モンゴルは各種の家畜を合わせて約二千八百万頭を有し、羊と綿羊が相当量を占めているという。
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