3500年前のイスラエルで開頭手術
イスラエル北部の有名な古代遺跡メギドで、3500年前の2人の人間の遺骨が発見されました。驚くべきことに、うち1人の頭蓋骨に謎の穴が開いていたのです。
専門家の推測によると、この男性は推定年齢21歳から46歳で、頭蓋骨の四方に交差する線があり、32×31mmの四角い切り込みがあったことから、「角ノッチ穿頭術」と呼ばれる特定のタイプの頭蓋手術を受けたと考えられます。しかし、傷口周辺に治癒した形跡がなかったので、おそらく、手術後まもなく死亡した可能性が高いとされています。
専門家は、頭蓋骨にある四角い穴は脳手術の痕跡だとし、中東周辺で発見された穿頭術の記録としては、最も古いものであると結論付けました。この発見は、数千年前に頭蓋穿孔の技術が世界中に広く普及していたことを示す証拠になるでしょう。
頭蓋に穴をあける手術「トレパネーション(穿頭術)」は、中東ではそれほど頻繁には見られず、地域全体で約12件の事例しかありません。
一方、古代中国の歴史には、西域(中国の西方に住む)人は開頭手術ができた記録があります。ここでの西域人の概念は広く、主に現在の中国の新疆ウイグル自治区より東の中東の人々をすべて含み、一般的に西域人と呼ばれていました。
宋の時代に文豪・欧陽修が編集した『新唐書』には、拂菻(ふつりん)という国が記録されており、後にビザンツ帝国とも呼ばれる東ローマ帝国であることがわかっています。同書には、脳を開いて虫を出し、目の白内障を治す優秀な医者がいたと記録があります。
また、元朝の著名な学者の一人である陶宗儀は、『南村輟耕録(なんそんてっこうろく)』第22巻に開頭手術の記録を残しています。任子昭という人の話によると、彼が元の都に住んでいたとき、近所の子供が頻繁に頭痛を起こし、発作が起きたときはしばしば耐え難い痛みだったそうですが、その子は西域人の医師に手術してもらい、額の上部を切り開き、石のように硬く動ける小さな蟹のようなものを脳から取り出したところ、寄生先を失った蟹は、間もなく死に絶え、その子供の頭痛も治ったといいます。
これらの記録は、古代中東における開頭手術の長い歴史を証明するものであり、少なくとも唐の時代には、開頭手術が中国に広がっていたことを証明する歴史的記録です。
古代中国における開頭手術の妙技
しかし、歴史には常に不可解な物語がつきものです。
2001年、山東省広饒県の大汶口文化遺跡の墓の1つ、392号墓から頭蓋骨が発見されました。この頭蓋骨には、右頭頂骨に31×25mmの楕円形の欠損が見られ、医療用のX線検査やCT検査を行ったところ、頭蓋骨の欠損は開頭手術によるものであることが判明しました。欠損部の縁は滑らかで丸みを帯びており、手術後に骨組織が修復された痕が見られます。つまり、墓に埋葬されていた人が、手術後も、長い間生存していたことを推察できます。この考古学の証拠から、開頭手術は5千年前の古代中国ですでに可能だったことが判明しました。
では、開頭手術は一体どのようにして生まれたのか? なぜ、人類はそのような早い時期に開頭手術を行うことができたのか? また、中東の開頭手術と古代中国のものには技術的な系譜の繋がりがあったのでしょうか?
南朝梁元帝の蕭繹(しょうえき)は『金楼子』という書物を編集しましたが、その一文に「淳于意(じゅんう い)は頭蓋骨を切り開いて脳を治療でき、華佗は胃をろ過して浄化できる」と書かれています。
すなわち、漢代の淳于意は開頭手術を、三国時代の華佗は割腹術を知っていたということを意味します。この記述は、少なくとも古代中国の漢代初期(紀元前208年)に開頭手術が知られていたこと、そしてその継承関係が残っていること、南北朝時代にもその存在を信じる人がいたことを示唆しています。しかし、残念ながら、この単純な記述だけでは、漢代の開頭手術が実際にどのようなものであったか、まだ完全な証拠を得ることはできません。
これは、古代中国の医術の伝承方法にも関係しているのかもしれません。古代の人々は師弟の相伝、あるいは単身や家族の相伝を好みました。こうしてみると、この医術はさまざまな歴史的理由によって失われてしまったのかも知れません。
詳しくはEPOCHTVをご覧ください。
https://www.epochtimes.jp/2023/06/155978.html
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