高智晟著『神とともに戦う』(33) 孤独な者の孤独な夜⑦

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訴訟にかかわる弁護士として、私の人生は苦しいものである。過去も現在も、そしてこれからもそれが変わることはないだろう。

私は、余りにも多くの不可解な存在――この国における司法の過程を目にしてきた。これはモラルある社会に対する犯罪に他ならない。私自身、中国の司法の現状を百も承知だからこう言うのであって、これはけっして簡単な思い付きではない。私のような性格の人間が、海の物とも山の物ともつかぬ司法の現状を前にすれば、どれほどの苦痛にさいなまれ続けるかは、想像に難くないだろう。しかし私にとってもっとつらいことは、いまだにいかなる変化の兆しも見られないことである。

袁紅冰教授の文章を読んでひとしきり感慨にふけった私は、筆の向くまま書いてきたが、やはり締めが必要だ。私は感じる所があってこの文章を書き始めたので、別に何かきちんとまとまった考えを表現しようとしたのではない。けれど一種の苦しみを吐露した感じがする。もちろんこれは、単なる苦しみを吐露する文章ではないのだが。

私が弁護士業にたずさわって7年。司法の闇とその中の理不尽、および公民やモラルある社会への破壊的行為は、百万の文字を連ねても書き尽くせない。自分の経験を少しばかりつづったので、心の憂さがわずかばかり晴れたに過ぎないのだ。

「和諧社会(調和の取れた社会)を」と高らかに叫ぶ現在の中国。元々中国の社会では、欠けているものを叫ぶのだ。つまり、最も欠けているものを、最も声高に叫ぶのである。そう考えると、欠けていることは決して悪いこととは言えない。だが、現在の執政者が頑なに固持する価値観に照らせば、「調和の取れた社会」を築くなど、夢のまた夢だ。

なぜなら中国は、公正さの欠けた社会、不正者を抑制するシステムが欠けた社会であり、制度によって天地ほどの貧富の差を生み出す社会だからだ。その制度の保証の下にあるのは、悪党どもが業界を独占し消費者から搾取している社会。一切の制約を受けない(文字上の制約はあるが)一つの権力の下の社会。公民や事業経営者の求めるものが、重視も尊重もされない社会。

共産党や行政権が思いのままに司法権をあやつる社会。公権が私物化されてしまった社会。憲法があっても憲政を拒否する社会。「六四天安門事件」や「法輪功」などの是非が、民族全体の感情を大きく揺さぶる社会。このような社会において、「調和の取れた社会」の建設など、どうして可能なのだろうか。

 (続く)

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