何も知らない幼い女の子が華やかな淑女へと成長していくと、人生で最も輝かしい歳月を迎えることになります。もし、その子が名門家族に生まれたのなら、なおさら世間の注目を浴びることでしょう。
世界には主に3つの大きな名門令嬢たちの社交界デビューのための舞踏会があります。それはイギリスのQueen Charlotte’s Ball、フランスのル・バル・デ・デビュタント(Le Bal des Débutantes)、そして、アメリカのインターナショナル・デビュタント・ボール(New York International Debutante Ball)です。
主催側は毎年世界中から20名余りの、貴族や名門出身の令嬢たちを招待します。これらの女の子たちは容姿端麗であることはもちろん、一定の才能と知識も持っていなければならないのです。
多くの映画やドラマからわかるように、西洋社会の女の子たちは、社会に入る前、必ず舞踏会に参加し、最後の学生時代を思いっきり楽しみ、そして、みんなから大人になるための勇気と希望をもらうのです。
本番では、令嬢たちは自分たちの父親と一緒に踊ることになります。舞踏会当日、多くの貴族や上流社会の著名人が来場します。メインの令嬢たちは丸1日がかりの支度を終え、完璧な姿で登場します。そして、彼女たちの横には、同じく貴族や名門出身のハンサムな騎士(ナイト)たちが付き添っているのです。
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では、なぜパートナーではなく、騎士と呼ぶのでしょうか?それは、中世のヨーロッパでは、騎士は国家を、国民を守る存在であるからです。「騎士道精神」には勇敢、大胆不敵、犠牲を恐れない、弱者を守り、信用と誠実を誓い、礼儀正しく、公正無私であるなどの美徳が含まれています。
今日まで、騎士道はヨーロッパの人々に大きな影響を及ぼしており、何事においてもレディファーストを重んじ、紳士的です。海外旅行で欧米を訪れたことのある方や、欧米の映画、ドラマなどをよく見る方はご存じでしょう。女性と子どもを守ることは中世の頃から受け継がれてきた騎士道の精神なのです。
いくつもの名誉を授けられたルクセンブルクのジャーナリストのステファヌ・ベルヌ氏はこのように述べました。「これこそ伝承の価値だ。子どもたちに高尚で、優雅で、思いやりのある心を持たせる。これこそ舞踏会の存在価値だ」
フランスのル・バル・デ・デビュタントは今年で30周年を迎えます。この舞踏会はもともとイギリスで発祥し、18世紀の国王ジョージ3世の王妃シャーロットのバースデーを祝うためにジョージ3世が主催して開いた舞踏会、Queen Charlotte’s Ballがきっかけです。当時、貴族出身の若い淑女たちは宮殿に招かれ、みんな純白のドレスをまとって王妃に謁見していました。
第1回のQueen Charlotte’s Ballは1780年に開催され、舞踏会を通じて、産婦人科医院の設立の資金を募りました。この動きが多くの貴族に支持され、その後、世界屈指の令嬢たちの成人式として、世界中に発展していったのです。
1957年、フランスもイギリスのこの伝統的なイベントを参考に同じような舞踏会を開き、見事成功を収めました。1973年頃はしばらく中断していましたが、1992年にOphélie Renouard氏は現代の特色を入れてこのイベントを復活させました。
Renouard氏は幅広い人脈と優れた社交能力を駆使して、世界各地から16歳から22歳までの名門令嬢を選び出し、招待状を出しました。選ばれた令嬢はどれも名門出身で、教養があり、世界中の少女たちの模範です。
インタビューでRenouard氏は、「女の子たちの教養と気質は非常に重要なことよ。もちろん、オートクチュールを着るためにはスタイルも非常に重要よ。そうすることで、淑女としての気質と優雅さが完全に現れるの。これと同じくらい大事なのは、彼女たちには自分なりのストーリーがなければならないこと。他人を感心させるような、深い印象を与えるような経験や努力、貢献などのストーリーね」と話しました。
ル・バル・デ・デビュタントは令嬢たちの社交界デビューを果たすためだけでなく、同時にチャリティーも行っており、毎年、舞踏会で募った資金は、世界各地の援助を必要としている若い女性たちを助けています。Renouard氏によると、「舞踏会は女の子たちを上流社会へと導いていると同時に、いかにして自分の力を駆使して、世界中の助けを必要としている人々を援助していくかを教えているのよ」といいます。
(翻訳編集 華山律)
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