ホームレスに家を寄贈した米国人 「人を助けること」の奥深さ

「吹雪のなかを歩いて職場へ向かっていた青年に、トヨタの新車が寄贈された」
そのような記事が先日の大紀元に載りましたが、正直に言って、日本人の感覚としては「なんで車1台、タダでもらえるのかな?」という気がしないでもありません。

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「人助け」の文化的背景

生々しい金銭のことではなく、その社会的背景が日本とは異なるため、寄付や寄贈が行われる道理に対して、こちらの理解が追いついていかないのです。

もちろん、日本にも助け合いの精神はあります。特に、震災や津波などの大災害があったとき、日本人が誰に指図されることもなく整然とした行動をとり、社会秩序を守って、暴動や略奪を起こさなかったことに世界は驚嘆したのです。

全てのガラスが割れ、店内がめちゃくちゃになった被災地のコンビニ店で、きちんとレジに並び代金を払って買い物をする日本人の姿(それは小さな子供だったそうですが)に、海外の人は神々しさを覚えたといいます。

一方、日本人が勤勉であるという思想の根底には、「欲しいものは、自分で働いて買え」という当たり前の勤労教育があるため、善意にもとづく「喜捨」あるいは「浄財」という行為が、ある部分で限定的になる場合があります。

英国のチャリティー機関「チャリティーズ・エイド・ファンデーション(CAF)」が世界の国々を対象に、その国の人々のギヴィング(Giving)の度合い、つまり他者に与えること、寛容度、人助け度などの状況を調査して発表している「World Giving Index(世界人助け指数)」の結果を見ると、なんと日本は先進国中では最下位。人助けにおいて、日本は「冷たい国」なのだそうです。

ボランティア後進国」と言われる日本

2009年から毎年行われているという同調査は、最近の1ヶ月の間に「助けを必要としている見知らぬ人を助けたか」「寄付をしたか」「ボランティアをしたか」という3つの観点から各国の人々にインタビューを行い、それぞれの寛容度を採点したものです。

その順位を見ると、1位は米国で、2位ミャンマー、3位ニュージーランド、4位豪州、5位アイルランド、6位カナダ、7位イギリス、8位オランダ、9位スリランカ、10位インドネシア。日本の総合順位は、126カ国中で107位でした。なお、総合順位で堂々の最下位は、予想に違わず今の中国です。

興味深いのは、1位の米国に続く第2位にミャンマー、9位にスリランカが入っていることです。国の経済力の多寡にかかわらず、仏教にあつい信仰をもつ国民が、そうした困窮者への「施し」を当然かつ自然な行為にしているものと思われます。

欧米のキリスト教圏においても、国によっていくらかの差はありますが、同様の思考をもつことにより、社会奉仕が比較的自然に行われています。

1874年に、米バーモント州ラットランドで新島襄が「私は日本で、キリスト教主義にもとづく学校を設立したい」と涙ながらに演説すると、その理想に賛同した聴衆が進んで帽子をまわし、なかに新島への寄付金があふれたと言います。

帽子に投げ込まれた、シワだらけの、しかし熱い善意のこもった1ドル札が、のちの同志社英学校、現在の同志社大学になります。アメリカ人というのは、本来、そういう国民であるようです。

武士道の「ぎこちなさ」

日本の武士道は、究極的には切腹に象徴されるように、徹底して自己に責任を求める思想です。
そのため、「武士の情け」という狭義においては人助けも可能ですが、社会的な善意の「施し」については、出すほうも受けるほうも、極めて不器用にしか扱えなくなります。

その結果、日本人は「人を助けるのが苦手」としか言いようのないほど、ぎこちないふるまいになってしまうのです。顔出しで堂々とやると「売名か」と見られるので、それを避けるため、匿名の寄付にしたりします。

そんな国民性や文化的背景もあって(日本人は決して冷たくはないのですが)異なる宗教観をもつ他国からは「冷たい国」に見えるのかもしれません。

ただし、現今における米国社会は、共産邪霊の浸透によって伝統的な価値観が失われたことにより、深刻な分断に病んでいることを付言しなければなりません。

さて、その日本ですが、例えば、大型台風などが近づく災害時に、避難所へ入ることを求めたホームレスの人が、役所の現場担当者によって「拒否」される事例が起きています。

もちろん、臭気がひどいなど、その時の理由があるはずです。しかし、荒天のなか、どこへ避難すればいいのでしょうか。
災害時でなくても、例えば、ホームレスを短期収容する公的施設を建てるときなどに、まず例外なく「建てるのはいいが、この近所はダメだ」という地域住民の反対が起きます。

ホームレスに家を寄贈した米国人

どうすればいいのか。それに対する答えを、ここに軽々に挙げることはできません。
米国で、こんな話がありました。始まりは2019年の5月ごろです。

ノースカロライナロードアイランドに住むスコット・クズマックス(敬称略)は当時56歳。まだ人生の半ばにあって、体も元気ですが、仕事はリタイアしています。

彼は「残りの人生をかけて、他人のために尽くしたい」と考えていました。

スコットがそう考えるようになったきっかけは、ダライ・ラマ14世へのインタビュー本『The Art of Happiness (幸福の芸術)』を読んで、そのなかにあった「幸福への道は、他人を助けることから始まる」という内容に啓発されたからでした。

スコットには、一人の「友人」がいました。彼の名はロバート・ピネダ。59歳です。
ピネダの持ち物の全ては、古ぼけた1台の自転車に積んであります。重さは約300ポンド(140㎏)。それだけを全財産として、ピネダは32年間、路上生活を送ってきた筋金入りのホームレスでした。

スコットが初めてピネダと会ったとき、その相手は笑顔でした。「私はその時、会わねばならない人物に会ったと感じました」。ABCの朝の情報番組「グッド・モーニング・アメリカ」で、スコットは、ピネダとの出会いをそう語っています。

「その時の私は、自分のコーヒーが冷めていることにも不機嫌になるほど、とても神経質な人間でした。ところが彼(ピネダ)はどうでしょう。たったこれだけの所有物しかなくても、落胆することなく、悠然とかまえているのです」

スコットは、ピネダの人柄に引かれ、毎朝コーヒーを飲みながら語り合う仲になりました。3週間後には、朝食もともにするようになりました。もちろん、コーヒーも朝食もスコットが買っていくのですが、とにかくピネダと話していると、会話そのものは言葉少なくても、伝わってくる心が温かくて、飽きないのです。

2019年10月、ちょうど2年前のことでしたが、スコットは初めてピネダとともに「路上で野宿する」という、ボーイスカウト以来の、久しぶりのキャンプ体験をしました。

薄雲りの夜空に見える、わずかな星を数えながら、ぽつぽつと語るピネダの話を聞いていましたが、そこで彼がホームレスであるために、ネグレクト(虐待)を受けていることが分かりました。

スコットは、すぐに身元保証人になってピネダを医療施設に入れ、治療を受けられるよう手配しました。

その翌年の5月、スコットは、ロードアイランドにあらかじめ購入しておいた1/4エーカーの土地と326平方フィートのログハウスへ「親友」を呼んで、そこに定住させました。

とうとうピネダは「ホームレス」ではなくなったのです。

おとぎ話のような物語ですが、米国では、こういうことがあるのだそうです。

(翻訳編集・鳥飼聡)