三国志を解釈する(1)

【三国志を解釈する】(1)素朴な疑問 「三国志演義」と「三国志」の違いは何か?

諸葛亮、劉備関羽、張飛、曹操の名を知らないものはいません。これらの英雄が活躍する三国志の何百もの物語のほとんどは『三国志演義』で語られていますが、これらの物語はすべて「三国志」を題材にしています。では「三国志演義」と「三国志」、この2つの作品はどう違うのでしょうか。

簡単に言えば、前者の「三国志演義」は今の歴史大河ドラマのような小説であり、歴史を題材としたフィクション作品です。一方、後者の「三国志」は歴史書であり、真実の歴史を記したものです。それなら「三国志演義が真実の歴史とは異なるのなら、この物語の意義は何か」と問う人もいるでしょう。その答えは簡単で、 歴史小説の最大の目的は、多くの人により鮮やかな史実をみて貰うことと、その歴史が中国に与えた真の影響を明らかにすることです。 それを作者が歴史をどう見て、どう理解したのかを小説という形で表現しています。

古代の人と現代の人では書く小説も違います、それは教育の仕方が違ったからです。 過去の学生は儒生と呼ばれ、孔子が説いた「仁、義、礼、智、信」の教育を受けていました。国や人々を救うこと、あるいは人々に善のあり方を教えることが、学生の大きな志だったのです。 そのため、志を抱く小説家の多くは、自分の人生の価値を見極め、社会や人々に貢献するために、人生をかけて作品を完成させます。 彼らは、読者を楽しませるために歴史小説を書くのではなく、歴史の真の意味を明らかにするために歴史小説を書くのです。 真の意味とは何でしょうか? それは、作者が自分で見いだした文化の意味合いであり、人生の模範や教訓を残し、人々に正しい振る舞い方を教えているのです。

例えばこの「三国志演義」をとってみると、三国志の歴史は、人類に「義」の文化を残すために、あらゆる状況下でも人間の正しい振る舞い方を忘れてはいけないと示しています。 

その事を強調するために、「三国志演義」は登場人物を生き生きと描いて物語を盛り上げ、それぞれの人間の有様を読む人の心に刻みこんでいます。物語は時代を超えて語り継がれ、この事で人々に「義」の本当の意味を教えることが出来ました。

関羽は、「関羽の千里行」で見せた主君の劉備への揺るぎない忠誠心や、赤壁の戦いで惨敗した敵将の曹操を昔の恩義から見逃した物語から、「義薄雲天」という地位を得ました。また劉備と諸葛亮も「三顧の礼」(地位のある人物が、ある人に礼をつくして仕事を頼むこと)と「鞠躬盡瘁」(この身を捧げて死ぬまで全力でやり続ける)といった言葉が残されているように君臣の義を残しています。

そのため、この小説は「三国志演義」と名付けられ、演という「義」の意味を持つ言葉が使われました。著者は、歴史は人類に義の文化を残すために編成された脚本であると考えています。

この小説は、劉備、関羽、張飛の「桃園の誓い」の話から始まり、現代の連続ドラマのように、最初に主人公が登場し、作者のテーマである「義」に沿って物語が進んでいきます。これから、 この「義」に沿って、作者の視点に立ち、「三国志演義」の物語と真実を見ていきます。

(つづく)

劉如
文化面担当の編集者。大学で中国語文学を専攻し、『四書五経』や『資治通鑑』等の歴史書を熟読する。現代社会において失われつつある古典文学の教養を復興させ、道徳に基づく教育の大切さを広く伝えることをライフワークとしている。