日本各地で見られる中国人観光客。円安効果も相まって、「爆買い」の勢いが止まりません。その一方で、観光客たちのマナーの悪さに対する不満の声があがっています。
「大勢で道を塞ぐし、声がうるさい」「商品を買い占める」「ホテルの部屋の使い方が汚い」
親切な在日中国人を多く知る記者は、観光客の振舞いが不思議で仕方ありませんでした。数千年の歴史を誇る中国は長い間、礼節を重んじる国だったのではないでしょうか?日中比較文化に詳しい、島根大学の孫樹林先生にお話を伺いました。
― 中国人はいつから「マナーが悪い」と言われるようになったのでしょうか。
孫氏: 大体、「文化大革命」が起きてからでしょうか。特に21世紀に入ってからです。昔の中国は、世界でも有数のマナーを重んじる国だったのですよ。しかし、毛沢東が「文化大革命」を発動し、それまでにあった伝統文化思想を徹底的に破壊しました。古代中国の価値観を、180度、逆転させたのです。「文化大革命」の頃、伝統的で礼儀正しい人などは「封建主義」とされ、攻撃的でだらしない人が「革命の士」として尊敬されました。
伝統的で女性らしい人も、よく攻撃されました。パーマなどをしていれば髪を切られるし、ハイヒールを履いていれば、踵を折られます。多くの古文書や歴史ある寺院が破壊され、伝統を継承する知識層は迫害されました。これは、人類史に残る悲惨な出来事の一つといえるでしょう。「文化大革命」以降もさまざまな政治運動が吹き荒れ、礼儀や道徳を重んじた悠久の文化がしだいに断ち切られたと思っています。
― でも、「文化大革命」は40年も前に終わりました。「改革開放」で90年代から経済も自由になり、海外の文化も入ってくるようになりました。
孫氏:はい。しかし、共産党政権であることに変わりありません。共産党はもともと、「革命」つまり「暴力」を理念としてつくられた組織だからです。「文化大革命」で破壊された文献や寺院の一部が修復されましたが、しかし10年も続いた革命により、中国の伝統文化・思想の中身はほぼ空っぽになってしまいました。その中身というのは、5千年前から蓄積してきた、天を敬い、徳を重んじ、礼を知るなどの中国文化思想の神髄です。古代の子供たちは、道徳心や親孝行といった人間としての心構えだけでなく、日々の礼儀や動作についても厳しく躾られました。礼儀や作法に厳しかった日本の武士の時代に似ているのではないでしょうか。
― 日本は、中国から多くのものを学びました。
孫氏:日本の先人たちは、大陸へ渡り、高度に発達した制度と文化を日本へ持ち帰りました。建築、陶芸、漢字、武道、儒教、仏教など、日本は大陸から多くのことを学び、独自の文化を形成していったのです。「遣隋使」「遣唐使」はご存じでしょう。推古8年(600)から寛平6年(894)ごろまでのことですが、日本人の学生たちは危険な大海を渡り、隋と唐の都へ留学しました。彼らはなぜ、命の危険を冒してまで大陸をめざしたのでしょうか。そうまでしても学びたい高度な文明、素晴らしい文化、優れた道徳が、中国にあったからです。
― 遣隋使・遣唐使の時代から、中国文化が日本に影響を与えたということですか。
孫氏:それまでも文化的交流や影響はありましたが、本質的で多元的な影響をあたえたのは遣隋使以来と思われます。その後、日本は中国文化を礎に、日本独自のすぐれた文化をしだいに形成していったのです。たとえば、日本人が返り点や送り仮名で漢詩文を読むようになったのも、その一例と言えるでしょう。
より素晴らしいのは、たとえば、日本のルネサンスと言われる江戸時代に「論語」や「史記」などを中国語で音読して学ぶ人もいました。現代では英語に堪能な人は一目置かれますが、昔は武士の多くが漢語に精通していたのです。武士などの知識階級の人は古代中国の文献を学び、「武士道」という理念を形成しました。日本人の勤勉さや礼儀正しさの源には、中国文化があります。不思議なことに、すでに中国大陸で失われてしまったものが、日本にはまだ残っているように感じます。
― 中国人が伝統文化を取り戻すには、どうしたらいいでしょうか。
― 中国人が伝統文化を取り戻すには、どうしたらいいでしょうか。
孫氏:真の中国伝統文化を取り戻すには、伝統文化復興への強い民意と、それを支えつつ育む社会の基盤が必要であると思います。今、伝統文化回復への所望が中国大陸をはじめ、海外にいる中国人の間でも日々高まっています。しかし、中国の現状を変えない限り、その実現は無理でしょう。
とはいえ、国外で伝統文化復興に関するもろもろの事業があり、それらは中国本土にさまざまな影響や啓発をあたえ、人々の反省を促しつつその勢いをつける可能性もあります。たとえば、国際的に日増しに注目、好評を博している神韻芸術団の公演もその一例です。
多くの中国人は、国内で神韻公演のDVDなどを観たり、あるいはわざわざ海外に行って、神韻公演を観るのですが、神韻を観た後の彼らの感想は、神韻はただスケールが大きいだけでなく、中国伝統文化の神髄を表し、これこそ私たち中国人が追い求めているものなのだということです。
神韻の舞台を見れば、中国の歴史の始まりから各王朝の文化、伝説を知るだけでなく、自分たちが今、何を失ってしまったのかを理解することができます。その意味で、神韻を見ることも、中国伝統文化の復興を促す一環になるでしょう。
一般的に、時代は文化を作りますが、逆に文化は時代を作る、つまり文化の力で時代を変えたり、新しい時代を切り開いたりすることもあります。中国が伝統文化を取り戻すことができるか。その成敗は中国人の良識や勇気にかかっていると思います。
― 中国の人たちが、真の伝統文化を取り戻せることを願っています。孫先生、有難うございました。
孫樹林(そんじゅりん)
1957年12月中国遼寧省生まれ。南開大学大学院修士課程修了。博士(文学)。大連外国語大学准教授、広島大学外国人研究員、日本学術振興会外国人特別研究員等を歴任。現在、島根大学特別嘱託講師を務める。中国文化、日中比較文学・文化を中心に研究。著書に『中島敦と中国思想―その求道意識を軸に―』(桐文社)、『現代中国の流行語―激変する中国の今を読む―』(風詠社)等10数点、論文40数点、翻訳・評論・エッセー等300点余り。
(聞き手・白石恵子)
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