【大紀元日本3月16日】11日、私はその時、兄と娘の見送りのために函館空港にいた。兄の羽田への出発予定は15時05分の日航機で、娘はエア・ドウの羽田行き、16時35分の予定であった。
兄は 、函館空港の出発ゲートを出発の30分前の14時30分ごろにくぐったが、14時50分ころに兄が忘れ物を思いつき、携帯から私の携帯に電話をしてきた。
しかし、それ以降、携帯電話は全くつながらなくなった。
2階のロビーの長いすに、父と娘と一緒に腰掛けて休んでいた時だった。一回目の揺れが来た。私はのん気にも、隣の娘がイスを座りなおしたためかと勘違いをした。しかし、すぐに地震であることが分かった。
空港内の天井や扉が大きく揺れていた。3人で慌てて一階に降り外に避難したがしばらくして収まったので、皆でコーヒーショップに入った。しばらくしてまた、2度め、3度めと揺れを感じて恐ろしくなり、慌ててお金も払わずにお店を出ようとした矢先に、お店の人が「M8の宮城沖地震です、危なくなったら一緒にお店をでましょう」と伝えてくれたので、思い直してもう一度座りなおした。後で分かったのだが、函館は震度4。その時は誰もこれほど大きな災害が発生していたとは、思いもよらなかったのだ。
結局、娘の16時35分の羽田行きはキャンセルとなり、再発行の為の行列に2時間並び、ようやく13日発の仮の切符が取れた。兄は4時間も函館空港の飛行機の中で待機を強いられ、19時時過ぎにようやく羽田へと出発し、無事到着した。しかし、電車は走っておらず、結局、羽田空港で段ボウルを敷いて眠れぬ一晩を過ごす羽目となってしまった。
兄が神奈川の家にようやくたどりついたのは、翌日の昼頃であった。
函館駅前はその夜、2メートル40センチの津波が押し寄せ、避難しそびれた一人の男性が亡くなった。
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