漁夫の利(ぎょふのり)【1分で読める故事成語】

【大紀元日本10月9日】

「漁夫の利を得るのは、誰だ?12月の日米合同尖閣諸島周辺軍事演習」

「日中関係の悪化で『漁夫の利』狙うアメリカのあいまいな態度―中国メディア」

「尖閣問題でインドが漁夫の利 ASEAN投資先をインドに乗り換え」

9月下旬、海上保安庁の巡視船と中国漁船の衝突事件における日中双方の対応を巡って、上のようなニュースがサイトをにぎわせた。それぞれの記事が何を言わんとしているかは、直接それをご覧いただくとして、「漁夫の利」ということわざは、次の故事に由来する。

戦国時代、趙の国が燕の国を討とうとした。それを聞きつけた燕の昭王(しょうおう)は蘇代(そだい)を趙に派遣して、討たないよう説得に当たらせた。

蘇代は、趙の恵文王(けいぶんおう)に次のように言った。

「私が今日、こちらへ参るとき、易水という川でこんな光景を目にしました。河原でドブガイ(蚌、ぼう)が口をあけて日向ぼっこをしていました。そこにシギ(鷸、いつ)がやってきて、くちばしでその肉をついばみました。すると、ドブガイはあわてて貝殻をぴたりと閉じて、シギのくちばしを挟んでしまいました。

シギが『今日も明日も雨が降らなければ、お前は死んでしまうだろう』と言うと、ドブガイは『今日も明日もくちばしを抜き去ることができなければ、お前のほうこそ死んでしまうぞ』と返し、両者はともに譲ろうとしませんでした。そのときちょうど漁師がやってきて、両者はあっけなく捕らえられてしまいました。

今、趙は燕を討とうとしていますが、戦いが続けば、両国の人民は疲れきってしまい、その結果、強国の秦が漁師になって一人利益を得るのではないかと心配しています。恵文王におかれましては、この点を熟慮いただきますようお願いいたします」

この話を聞いた恵文王は、その通りだと思い、燕を討つのを止めた。

(『戦国策』燕策より)

このことわざは本来、「鷸蚌相争、漁人得利」(シギとドブガイが相争い、漁夫が利を得る)から来ており、後半の「漁人得利」が日本語では「漁夫の利」として定着した。但し、それほどポピュラーではないが、日本語には前半の「鷸蚌相争」から生まれた「鷸蚌(いつぼう)の争い」もあり、「漁夫の利」と同じ意味で使われる。

(瀬戸)