【大紀元日本7月26日】日本での5週間の滞在を終え、住み慣れたコーンウォール州へ戻った。しかし、娘の方はかなり混乱してしまったらしい。フライトの変更があり、滞在期間が一日減り、月曜から金曜まで日本の小学校で、土曜日に移動、日曜日に戻ったけれど、さすがに月曜からの地元の小学校は休ませた。でも、放課後のバレーのレッスンなら大丈夫かな、と連れて行ってみたところ、本人には消化しきれなかったようで、泣き出してしまった。考えてみれば、トップのビジネスマンみたいな生活を7歳児に押し付けているわけで、ビジネスマンは文化の表面にしか触れないが、彼女の場合は、文化の根底に触れさせられている。集団生活や協調など、イギリスにはないものが日本の社会では前面に押し出されている。
勝手の分からない英国の学校に娘を入れる時は、こわごわだったが、日本の学校のシステムは自分が熟知していたため、ポーンと入れてしまった。本当に申しわけないことをしたと思う。
日本から帰国して3ヶ月くらいは、新鮮な日本での体験や言葉の言い回しなどを維持してくれる。少しずつ、自分の日本での体験を話してくれたりして、異文化の咀嚼期間ともいえる。そして3ヶ月を過ぎるとどんどん言葉の方が薄れてしまう。ここで「日本」をどうやってつなげていくかが、正念場。触れられる日本語メディアも限られており、私の中に構築されてきた日本語を絞り出すしかない。そして面白くなくては、娘の関心は惹けない。
悲しいことに、私から絞り出された日本語は、60年代、70年代の日本の歌謡曲だった。ブルーコメットの「ブルーシャトー」を自分が小学校の時、「もりとんかつ、いずみにんにく…」と替え歌にして遊んでいた。これで、「森」という言葉も「とんかつ」という言葉も同時に耳にはいるじゃない、なんて気楽に考えて、一生懸命、娘の前で口ずさむ。
幼稚園の頃は、数の数え方を教えるために山本リンダが出てきた。「ひーとり、ふーたり、コーイの相手は…」というと、歌い始めただけで「だめだめ…」と、続きの歌詞が娘の口から出てくる。
最近娘と話したら、「港のヨーコ」「UFO」「おふくろさん」なんかを覚えているそうだ。森進一の「おふくろさん」は、衛星放送で紅白歌合戦を見た時に出てきていたそうだ。恐らく私がひどく懐かしがったので、娘に印象づけてしまったのだろう。
道理で、中学の頃、母と姪っ子がコーンウォールに遊びに来たとき、娘の日本語感覚は姪っ子より母に近かったわけだ。姪っ子は「知らない日本語の世界」を前にして英国でカルチャーショックを受けていた。
著者プロフィール:
1983年より在英。1986年に英国コーンウォール州に移り住む。1989年に一子をもうけ、日本人社会がほとんど存在しない地域で日英バイリンガルとして育てることを試みる。
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