英国バイリンガル子育て奮闘記(22)

【大紀元日本2月15日】

幼稚園(1992~1994年)  ボクは白人、あなたは色つき

娘とは日本語で話すが、娘の友だちが家に来ると、当然英語で会話をするわけだ。子供はお世辞を知らない。いきなり「なんでそんな変な風に話すの?」と聞かれてしまった。それは、この国で生まれ育ってないからで、この国の言葉とは違う言葉で育ってて…しかし、この田舎から出たことのない、外国人もほとんど知らない子供たちにどこからどうやって説明したらいいの?と口ごもっていたら、4歳の娘がいきなり、「それはね、お母さんは日本人だからなの」と模範解答を示してくれた。 日本人って何なんだと聞きかじることもなく、尋ねた本人も納得していた。どっかよそから来た人なんだという概念ができたに違いない。

ある日、娘の友だちと一緒におやつを食べていたら、これまたいきなり、「ボクはホワイト、あなたは色つき(カラード)」と言われてしまった。その横で、娘がさも誇らしげに、「私は半分ホワイトで半分色つき」と口を挟んだ。これは差別ではなく区別だ。色や形に合わせて物を区分するようなもので、悪い感情は全く入っていない。なるほど、子供はこうやっていろいろな人を認識していくのかと、そのさっぱりとした指摘に感心した。

小学校に上がった時、あるお母さんが親しくなってすぐに、「うちの子は本当の子ではなくて養子なの」とあっけらかんとした口調で教えてくれた。隠しごとという様子は全くない。小さい時からきちんと本人にも周りにも知らせた方がいいというアドバイスに従っているようだった。なんと答えていいかわからず、「あ、うちの子が半分日本人みたいなものね」と思わず言ってしまった。一体、ハーフと養子と何の関連性があるのだろうか?それでも、ハーフを生むのに家庭の審査は要らないけれど、養子をとるには厳しい審査を通らなければならない、などと会話ははずんだ。

どの体験にも、日本で見受ける陰険さは、ひとかけらもなかった。他人と比較して自分を蔑んだりすることからは無縁で、一人ひとりがマイペースで生きているからなのだろうか。

(続く)