有朋自遠方来,神韻日本公演を歓迎する

【大紀元日本1月29日】有朋自遠方来不亦楽乎。朋(とも)の遠方より来たる有り、また楽しからずや。

古人の言うように、懐かしい朋友の来訪はこよなく嬉しいものである。

1年間心待ちにしていた神韻が、また日本に来る。私たち日本人は、このことを心から喜びたいと思う。

年間いくつの芸術公演が、「後援:中国大使館」などという胡散臭いヒモ付きで、中国から来日しているか知らないし、関心もない。

それら中国大陸から来る自称「中国伝統文化」は、すでに本来のものとは似て非なる偽文化、すなわち「党文化」となっているからである。

20世紀、中国に「解放」という正義の仮面を被ったデモーニックな政党が出現し、人民を狂気の溶鉱炉に突き落とした。 

その結果、無数の貴い人命が損なわれた。

以来、本来は自由であり、人を善の方向へ導くべき文化活動は、極めて恣意的に利用される「政治の道具」となった。それにより中国大陸の伝統文化は、一度死んだ。

もしも「中国はもはや毛沢東時代ではない。経済も自由化され、北京五輪も開催された。課題はあるが、中国が発展しているのは事実ではないか」という反論があるとすれば、その人は中国の実態が全く見えていないと言わざるを得ない。

恐るべき官僚腐敗と社会道徳の崩壊。絶望的なほどの自然破壊と環境汚染。

挙げればきりがないが、中国共産党の統治下にある今日の中国は、発展はおろか、退廃と破滅の道をまっしぐらに進んでいるではないか。

正常な文化を失った社会はこれほど悲惨な状態になるという現実が、私たちに突きつけられているのである。

しかし希望を捨ててはならない。そのためにこそ、神韻が世界を巡っている。

神韻芸術団の力量のすごさは、それら偽文化である「党文化」の毒を一掃し、邪気で汚されたこの空間を山上の清浄さに戻す、圧倒的な浄化力にある。

神韻芸術団の団員はすべて海外に在住する華人であるが、その中にはかつて中国で活躍し、名声を博した第一級のアーチストも多い。

その意味でも実力は折り紙付きなのだが、何よりも重要なのは、彼らは全て「中共から決別したアーチスト」であるということだ。中共の呪縛から解放された彼らは、いまこそ天空を飛ぶ白鳥となって、世界人類に美しい花の種を撒く。

中国五千年の神伝文化を現代に復興させるという崇高なミッションを、神が、神韻芸術団に与えた理由はここにある。

その上で、私たちの日本に神韻が来ることの意義を、今一度考えてみよう。

中国がかつて唐と呼ばれていた頃、日本は莫大な国費を投じて遣唐使節団を送り、荒波を越えて彼の国に学んだ。これを国力の差だけから見れば朝貢外交とも言えよう。

しかし文化の使者として見るならば、命を懸けて使命を果たそうとする人類の善的努力の具現として、日本の先人も世界史上に誇れる業績を残したと言えるのではないか。

そして、それに誠実に応える中国人がいた。

揚州・大明寺の高僧・鑑真は、第9次遣唐使として入唐した留学僧・普照らの要請を受け、師の身を案じる弟子たちの制止を振り切って、自ら日本へ行くことを決意する。 

日本に佛法を広め衆生を救うという大使命のもと、六度の渡海に失敗し、決意から12年後の七度目にようやく日本の土を踏んだとき、鑑真の両眼はすでに光を失っていた。

また、鑑真の渡日に先立つこと約百年、唐僧・玄奘は、単独で長途インドへ経典を求めての大旅行を行い、16年の歳月の後、唐土へ帰還している。同じく唐僧・義浄は、海路インドへ渡り、23年をかけて佛跡を巡り、経典を携えて帰国した。

唐の時代、インドではすでにヒンドゥー教が主流になっていたが、前述した唐僧らの活躍により、佛教文化はむしろ中国において大輪の花を咲かせたのである。 

私たちはここに、大きな感動とともに戦慄さえ覚える。

鑑真にしろ、玄奘・義浄にしろ、正統な文化の伝播者というものが、かくも堅固な信念のもと、命懸けの偉業をなしとげてきたことか。

そして21世紀の今日、輝かしい神伝文化の伝播者である神韻芸術団が、いよいよ2月、私たちの日本に来る。三度目の来日公演。いや、実は数千年来の、懐かしい朋友の来訪が目の前に来ているのである。

その重みを知った私たちは、もはや下等な偽文化に騙されることはない。 

私たちは両手を広げ、この素晴らしき朋友を歓迎しようではないか。

神韻こそ、日本人の真の友なのである。