中国伝統文化の精髄-「二十四孝」(7)

【大紀元日本1月6日】「孝」は儒家の倫理思想の核心であり、長い間中国社会で家庭関係を維持するための道徳基準であった。それは、中華民族の伝統的な美徳であり、中国伝統文化の精髄でもある。

元の郭居敬は、中国古代の孝行が特に優れた24人の故事を集め、「二十四孝」を編集した。後に絵が配され、「二十四孝図」として孝行の道を広めるための通俗読み物となった。

呉猛・「二十四孝図」より)

19 呉猛

呉猛は、晋朝濮陽の人で、八歳のときに早くも父母を敬い孝行することを覚えた。家が貧しく、蚊帳がなかったため、父は蚊に刺されて熟睡できなかった。そこで、夏になると呉猛は、服を脱いで父親の寝床のそばに座り、蚊に刺されるに任せ、決して追い払うことはしなかった。もし追い払えば、その蚊が父親を刺しはしまいかと心配したからである。

楊香・「二十四孝図」より)

20 楊香

楊香は、晋朝の人。14歳のときに父親と田圃で稲刈りをしているときに、突然虎が現れ、父親を口にくわえて走り去ろうとした。楊香は、手に何の寸鉄もなかったが、全く自らの危険を顧みず、虎の前に躍り出ると、全身の気力を振り絞って虎の喉を締め上げた。すると、虎はついに父親を放して走り去ったという。

孟宗・「二十四孝図」より)

21 孟宗

孟宗は、三国時代の江夏の人。幼いときに父を亡くし、母親は老齢で病が重かった。医者は孟宗に、筍をスープにして母に飲ませるよう言った。ただ、時は厳冬で、筍などあるはずもない。孟宗はなす術もなく、一人竹林に分け入り、竹にすがって泣いた。すると、しばらくして突然、地が裂ける音がして、数本の筍が生え出してきた。孟宗は大いに喜び、それを持ち帰ってスープにした。さっそく、母親に飲ませると、果たして、母親の病はたちまち癒えたという。