1日の仕事を終えた大人が、やっと帰宅しました。
片手でネクタイをゆるめながら、リビングのソファに体を投げ出します。しばらくは横になったまま、ポケットから取り出したスマートフォンをぼんやり眺めます。
お疲れ様でした。この時は、もちろん心身をリラックスさせて結構です。横になったまま、スマホに指を滑らせてフェイスブックを見たり、ラインのメッセージに対応することが優先順位の1位になってもかまいません。
しかし、大人はともかく、同じことが「我が家の子供」にも当てはまるのでしょうか。
学校で朝から授業を受け、補習や学習塾も終えた子供が、へとへとで頭をぼんやりさせたまま家に帰ってきたとします。子供は、かばんを床に落とし、ソファに飛び乗ったかと思うとポケットからスマホを取り出し、夢中でゲームを始めます。
そんな子供に向かって、親であるあなたは「1日中勉強して疲れたでしょう。ゆっくりしていいわよ」と優しい言葉をかけますか。
それとも「そんな時間があるなら読書をしなさい。スマホで何を遊んでいるの!」と叱りつけますか。
1日中ハードな仕事をして、家ではリラックスしたいという気持ちが大人にあれば、同じく「1日勉強したから、家では休みたい」という子供の気持ちも、ある程度は理解できるはずです。ただ、親は往々にして子供の将来への期待が強いため、肝心な「子供への共感」を忘れてしまいがちになります。
現代人の生活のなかで、もはや不可欠のものとなったインターネットとその端末は、必然的に「娯楽への最適な選択肢」になります。それは同時に、子供の読書への興味を育成する上で、大きな障害の一つになっています。
読書には非常に多くの利点があることを、私たちは知っています。しかし、現代のこの特殊な環境下において、子供に読書習慣を身につけさせるのは本当に容易ではありません。
昔、物が少なくて貴重であった時代には、人々はどんなものでも大切にし、最後まで大事に使っていました。知識を与えてくれる書籍を入手するのは容易ではありませんでした。ものを大切にすることは、書籍についても同様だったのです。
現代に目を向けると、書籍の出版量は驚くほど多く、書籍市場の活況と資源の氾濫という巨大な環境は、「珍惜(大切にする)」という二文字もさることながら、そのなかから何を選べばいいのか分からず、途方に暮れているとも言えます。
書店やコンビニに行けば分かるように、今の本は雑多であり、かつてほどの「尊い地位」には置かれていないようです。
子供が、いかに書物を大切にするかを学び、さらに生涯にわたる「読書家」にしていくか。それは親の大きな課題と言えるでしょう。
(翻訳編集・鳥飼聡)
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