人は死んでも、名声、財産、情を持っていくことができませんが、借りたものは返さなければならないというのは、世の中の鉄則です。
人生で背負った借りを解消することは可能なのでしょうか?
「動物と人間の輪廻」- 悪はその報いを受ける
1923年、上海で「人間と動物の輪廻転生」という事件があり、 それから11年後の1934年、上海の宝華寺の庭で人間の手を持った豚を見た狄子平氏は、上海の「鏡華写真館」に人間の手を持った豚の写真を撮ってもらいました。また「人間と動物の輪廻転生の確証」という小論文を執筆しました。この事件と写真は大きく報道され、瞬く間にセンセーションを巻き起こし、動物や人間の生まれ変わり
を示す紛れもない証拠となったのです。
狄子平氏の文章によると、江北の泰興に施慶鍾という男がいて、彼は生まれつきの凶暴、横暴な振る舞いをしていました。しかし1923年のこと、施慶鍾は突然重い病気にかかり、死にかけていました。その時ちょうど各地を歩いていたある僧侶が、そんな悲惨な姿の施慶鍾を見て、「お前は自分の悪行のせいで、死んでから豚の体になってしまうだろう。速やかに罪を告白しなさい。そうすれば罪が許される
かもしれない」と言いました。
施慶鍾は自分がもうすぐ死ぬことが知り、心の中はとても怖いと感じ、今までの人生でたくさんのでたらめなことをしたと後悔しました。
そして彼は左手を半分握るようにして上げ、僧侶に礼をしました。 僧侶はため息をつき、「この片手だけで、真摯に仏様に敬意を払えば、この手は豚の手にならない。残念だ。助かるのはこの片手だけだ。だからこそ、殺される痛みを避けることができる」と言いました。そしてほどなく施慶鍾は罪を背負った体でこの世を去りました。
施慶鍾の死後、隣村の村人が飼っていた雌豚が「変な豚」を生みました。左前足が人間の左手とそっくりに生まれ、人間の5本の指がすべてあり、爪までも欠けていませんでした。 そして子豚が歩く時、その手は地面に触れようとしなかったようです。
村の人々は、僧が言ったことを思い出し、施慶鍾が豚に生まれ変わったことが広まりました。この事件について、たくさんの人々が議論をし、一時、施慶鍾は善と悪の照らす鏡となったのです。
この豚の事を知った施家の家族は包丁で切られる苦しみに遭遇しないように、豚を買い帰り、上海の宝華寺に送って放してもらいました。僧侶の言葉と、施慶鍾の来世についての予言が実現したのです。
牛や馬に生まれ変わって、債務を返す
正見ネットに「前世今生 ロバに乗らない人」という文章が掲載され、そこで著者の唐曉宇氏は、ある修行者の天目が前世と現世を見ることができることを書き、生まれ変わった動物が借金を返すのを見た話を紹介しています。
その話によると、その修業者はロバには乗らず、疲れても乗らず、牛にも乗りませんでした。なぜなら、彼の天目(人や物事を見透す第3の目)はずっと開いていて、動物の前世を見ることができたからです。 彼はロバの前世を見ることができ、その多くは彼の友人や親戚の生まれ変わりでした。
彼は、一般家庭で飼われている牛、ロバ、馬、豚などの家畜のほとんどが、債務を返すために人間に生まれ変わったものだと見ていました。 前世では、家族に借りたものを払わなかったり、払えなかったりしたのを、現世で牛や馬になって借金を払い、必ず借りたものを払おうとしていたのです。
これは、多くの人が「来世で牛や馬に生まれ変わって恩返しをする」という誓いの成就ではないでしょうか。 現世で返済されないものは、来世で返済されるのです。
有名な岳飛を処刑した秦檜は夫婦共々地獄で拷問を受けた後、人間界に戻ってきて借りを返すために家禽となり、屠殺され、借りを返すまで何度も何度も痛みや苦しみを味わったと書かれています。
世の中には因果応報の例がたくさんあります。 現世でも、たくさんの応報の例を見ることができます。人は死んでも名、利、情を持っていくことはできませんが、生前に負った債務は死んだも清算できず、動物に生まれ変わって借りを返すことになります。
(翻訳・李明月)
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