「新しい命を生きる」 鬱と絶望から再生した奇跡の人

キャッシー・マー(Kathy Ma)は今年56歳。サンフランシスコで会計コンサルタントをしている彼女は私の最愛の母、つまり私は「彼女の息子」です。ご覧の写真では、まだ母のベルトの高さしかない小さな子どもですが、今は30歳を超えて、立派な成人になっています。私が今ここにあるのも、全て母の深い愛のお陰です。

私は、母を誇りに思っています。そして、私の母を絶望の淵から救ってくださり、健康な体と新しい有意義な人生を母に与えてくださったマスター・リー、李洪志先生に心からの敬意と感謝を捧げます。

今日は、日本の皆様に、私の母のことをお話させていただきます。

私が、母のお腹のなかに生命を受けて5カ月頃のこと。夫(私の父)は母を捨てて家を去り、他の女性と結婚してしまいました。母は、あまりの悲しみと絶望のため精神が不安定になり、いつも大声をあげて泣き続け、ついに重篤な鬱病になってしまいました。

その数ヶ月後。私は無事に産まれましたが、母はとても育児ができる状態ではなかったので、母とともに暮らす祖父母(母の両親)が私の面倒をみてくれました。

母の鬱症状がひどい時、家の中は地獄と化しました。「もう死ぬしかない。それが唯一の道だ」と思い込むほどの自殺願望にとりつかれ、突然奇声を上げて暴れる母を、私は(はじめは目も開かない乳児でしたが)心の目ではっきりと見ていました。私には、精神が崩壊した母の悲しみが痛いほど分かりました。家族の中で、私だけが、母の本当の心を分かっていたのです。

祖父母にしてみれば、戦場でたたかう兵士になったようなものでした。ある日、鬱の母がひどい発作を起こしたので、祖父はロープをつかって母の体と手足をベッドに縛りつけ、身動きがとれないようにしました。母が包丁を振り回したり、窓から飛び降りることを恐れたためです。発作による興奮が頂点に達すると、母はそのまま倒れて失神しました。しばらくして目が覚めると、また発作。そして失神。この繰り返しです。

その後、しばらくは平穏な時間が過ごせるものの、数日後に、また次の発作が来ます。そうなると再び「戦場」です。その凄絶な光景を、ベビーベッドの私は震えながら、心の目で見ていたのです。

母を余計に悩ませた理由の一つが、実は、私にありました。我が家に一大事が起きた時、私は母の胎内にいたのですが、その影響からかどうかは分かりませんが、私は言語の発達がかなり遅れた子どもだったのです。

祖父母や母は、全く言葉を発しない私に「先天的な言語障害がある」と思ったようです。後で聞いたことですが、私を診たドクターは「彼の声帯に異常はない。おそらく、ただ発達が遅れているだけか、彼が口を開くこと拒んでいるからだろう」と言ったそうです。母は、自分の鬱症状が子どもに悪影響を及ぼしたと思い、自分を責めていました。私は6歳でようやく話し始めましたが、言葉は少なく、寡黙な子どもでした。

ある日の事です。母の鬱が、また激しく爆発しました。危険を感じた祖父母は、幼い私を他の部屋へ移しました。しかし、私の耳には、絶叫する母の声が聞こえていました。私も泣きながら「ママ、僕を残して行かないで。死ぬのなら、僕も一緒に連れて行って」と口にしました。

私の言葉を聞いた祖父母は(同じく泣きながら)母を叱りつけました。「キャッシー、しっかりしなさい。息子までが死ぬと言っている。子どもを道連れにして、おまえは一人分の罪だけを受けるつもりか。この子を見よ。おまえよりも可哀そうなのは、この子ではないか」

Kathy Maと息子。90年代後半の写真。(Kathy Ma提供)

母は後年、愛する息子(私)を道連れにして自殺を考えたことを、心から恥じて、悔いたと言います。当時、母はクリスチャン(新教)であり、教会の活動にも参加していたので、そちらの方面から少しは精神の安らぎを得られましたが、自分の深層までしみ込んだ自殺願望を完全に消すことはできませんでした。

母は、多額の費用をかけて、心理療法を専門とする医師や治療師を訪ね歩き、自分の鬱病を何とか治そうと努力しましたが、有効な治療法はついに見つかりませんでした。

1997年のある日、母の友人が我が家へ来て、自身もやっているという「法輪大法」を母に紹介しました。それは、92年5月から李洪志先生によって中国国内で伝え始められた伝統の修煉方法で、奥深くも分かりやすい法理と、ゆるやかに体を動かす煉功動作によるものでした。

母はその時、李洪志先生が講義するビデオ映像を初めて見ました。母は以前から右腕、ちょうど二の腕の下側に腫瘍があって、それが腫れると非常に痛み、字を書くペンも持てなくなるほどでした。ところが不思議な現象なのですが、李洪志先生のビデオ映像を見たすぐ後に、ふと気がつくと、長年来の悩みであったその腫瘍が消えていたのです。

母は、ちょっと不思議には思いましたが、その時はただの偶然だろうと考え、それが初めて接した法輪大法の威力によるものであることまでは悟れませんでした。しかし私は、気づいていました。この時から、母にある変化が起こり始めていたからです。

99年のある日。かつて母に法輪大法を紹介した友人がまた来て、母をさそい、学法のグループに参加しました。学法とは、法輪大法を学ぶ人々が定期的に集まり、法輪大法の基本図書である『轉法輪』という本を、皆で音読する勉強会のことです。

その日は、『轉法輪』第四講の「失と得」という項目まで読み進みました。母は、驚きました。その本の内容が(まるでそれを待っていたかのように)手に取るように次々と理解できるのです。帰宅してからも夢中で読み続け、数日で『轉法輪』を全て読みました。

祖父母は、もともと読書嫌いだった母が、こんなに熱心に本を読んでいる姿を初めて見たことに驚いていました。何より驚いたのは母自身です。この本と出会ったことで、今までの人生で疑問だった数々のことが、頭の中の黒い霧が晴れるように、どんどん明らかになっていったからです。

母の顔が、以前に比べて格段に明るくなりました。私は、見違えるほど美しくなった母の顔が大好きで、いつも喜んで見上げていました。母は、そんな私をのぞき込むように、優しい声でこう言いました。両手で包みこむように一冊の本を持っています。

「ママは長い間クリスチャンだったけど、聖書のなかに書いてあることは、ママにはよく分からなかったの。だけど、この『轉法輪』という本はね。ママが今まで苦しんできた理由や、分からなかった疑問の答えが、全部書いてあるのよ。これを読むと、ママは本当に元気が出てくるの」。

その頃、中国大陸では大変なことが起きていました。中国共産党が、法輪大法を学ぶ善良な人々を全く法的根拠もなく片端から逮捕し、悪魔のように残酷な暴力によって虐殺するという、大迫害が始まっていたのです。

それを聞いた祖父母は、母が法輪大法(法輪功に同じ)を学び始めたことに対し、猛反対しました。もちろん、ここは自由と人権が保障された米国のサンフランシスコであり、中国国内ではないのですが、中共のもつ恐ろしさや卑劣さを、祖父母は知っていたのです。

祖父母は、中共を恐れるあまり、母の説明する法輪大法のすばらしさには全く耳を貸さず、「そんな危ないもの、止めなさい!」といって母に迫りました。

私が聞いて悲しかったのは、祖父の発した「おまえが法輪功を止めないなら、もう孫の面倒を見てやらないぞ」という言葉でした。祖父は、孫である私を溺愛していましたので、もちろんその言葉は本心ではないはずです。母を心配するあまり、ついそのように言ってしまったのでしょう。母は、祖父にそれ以上の反論はしませんでしたが、法輪大法を止めることはなく、むしろ一層強い信念をもって、この修煉を続けていくことになるのです。

天国楽団の一員となって、法輪功のパレードに参加する。(Kathy Ma提供)

12年間にわたり、私の母をあれほど苦しめた鬱病は、その後、どうなったと思われますか。

法輪大法を学ぶようになってから、母の鬱の発作は、徐々にですが、確実に少なくなりました。昔は「週に一回」だった発作が、月に一回になり、数カ月に一回になり、やがて全く発症しなくなりました。つまり母の鬱病は、完全に消えたのです。

「こんな自分が救われるには、自殺するしかない」。そこまで思い詰め、死の一歩手前まで達していた母の絶望的な日々は、遠い過去のことになりました。しかし、そこに至るまでの出来事を一つ、日本の皆様にお伝えしておきましょう。

その日は、まさに母にとって鬱病が発症する「最後の日」になるのですが、もちろん母はそんなことは知りません。今まで以上に激しい発作で精神不安定となり、大爆発してしまいました。

家の中で荒れ狂う母を前に、どうしてよいか分からない祖父母。ただ、それが効くかどうか全く知らず、とっさに祖母がとった行動は、CDデッキのスイッチを押して、やや大きな音量の録音を部屋いっぱいに流すことでした。

「キャッシー、あなたを愛しているわ。さあ、ここに座りなさい。心を落ち着かせて、先生のご講義を聞くのよ」。12年間の心労ですっかり老いていた祖母が、暴れる母を必死で抱き止め、大きな荷物を置くように、ソファにどさりと座らせました。

「ああ、このお声は」。そのとき母の耳に聞こえてきたのは、まさしくマスター・リーの慈悲深いお声。李洪志先生が、大勢の弟子を前に法輪大法を講義しているその録音でした。その時のことを、母は後日、私にこう語っています。

「CDデッキから先生のお声が聞こえると、それまで興奮していた私は、すぐに落ち着きを取り戻したわ。そして思い出したの。自殺は法輪大法の法理に反する行為であり、絶対にしてはいけないことを。その時、私は全てが分かったのよ。あれほど自殺したいと願ったのは、決して私の本心からではなく、邪霊が私の体を乗っ取り、心にもないことを私に言わせていたのだと。だから私は決意したの。私の心に潜り込んだ邪霊を完全に排除して、どこまでも法輪大法の道を堅持していきますと」。

私はもちろん、部屋の片隅でその一部始終を見ていたので、劇的に変化する母の表情が手に取るように分かりました。さっきまで悪魔がとり憑いたような恐ろしい形相だった母は、輝くほど美しい女性になっていました。

母の両眼から喜びの涙があふれると、祖母も安堵のあまり泣いていました。祖父は私の肩を抱いたまま顔をそむけ、窓から空を見上げています。そうして嗚咽をこらえている祖父の顔を、私は見ないようにしました。

言うまでもなく、それ以来、母の鬱症状は全く出ていないばかりか、母は見違えるほど明るく、元気になりました。

2006年5月、法輪大法の慶祝パレードに、私は母とともに、天国楽団の一員として参加しました。天国楽団とは、法輪大法を修煉する人々によって組織された世界最大級のマーチング・バンドで、今では米国、カナダ、台湾、日本をはじめ十数カ国にあります。

Kathy Maとその母。(Kathy Ma提供)

先述したように、以前の私は「笑顔もなく、言葉を発しない子ども」であり、家族をひどく心配させたものです。ところが母が元気になってからは、母とともに私も法輪大法の活動に参加しています。そのためか私まで明るく元気あふれる子どもになってしまったことに、周囲の人はみな驚いていました。それが15年ほど前の私です。

最後に、もう一つ、申し上げましょう。母に猛反対していた両親、つまり私の祖父母も2008年より法輪大法を学び始め、ともに修煉の道を歩む隊列に入りました。

親愛なる日本の皆様。私の母の歴史をお聞きいただき、誠にありがとうございました。皆様がお健やかでありますよう、お祈りしております。

(文・田雲 翻訳編集・鳥飼聡)