古代中国の物語

人を助けても見返りを求めなければ、福報を得る

明の時代、太倉州(現在の江蘇省太倉県)の司法官を務める顧佐(グーズオ)は思いやりがあり、正直な人でした。顧氏はかつて菓子店の主人の冤罪を晴らし、助けたことがありました。店の主人は感謝のしるしとして、顧氏に17歳の娘を差し出すと3回も申し入れましたが、すべて顧氏に断られたという逸話が残っています。

顧氏は、自分は朝廷から給与をもらう身であり、人々のために働き、世道を正し人心を清らかにすることを常に考えていると話しました。

数年後、顧氏は昇進して韓侍郎(侍郎:謁見の取次を司る官職)の元へ赴任しました。到着当日、韓侍郎は不在でしたが、韓夫人が出迎えました。顧氏は頭を下げたまま夫人に挨拶をしました。すると、夫人はおもむろに、自分は彼に助けられた菓子店の主人の娘だと明かしました。夫人は、彼の善行を必ず韓侍郎に報告すると告げました。

夫人から話を聞いた韓侍郎は、顧氏を仁徳を備えた君子であると称え、明の皇帝・明孝宗に上疏(じょうそ)しました。明孝宗は、「道徳を重んじ、民を欺かず、人民の父母の役割を担い、股肱之臣(ここうのしん:頼りになる家来)になる。また心が清く、寡欲(かよく:欲が少ない)である者は君に忠義を尽くし、国を大事にする良臣となる」と賛嘆し、顧氏を刑部主事(明の時代、中央官庁の官職)に抜擢しました。 

道徳を重んじ、善い行いをすることによって、人々は感動し、善の心がさらに広がっていきます。伝統文化が人々を支える根本であることを、この逸話が教えてくれます。

 

(翻訳編集・豊山)