何があっても、その翌日を生きねばならないのが人間である。
▼75年前の8月16日を生きた日本人も、そうだったはずだ。前日に玉音放送があり、長い戦争が終わったことを告げられた。しかし、どうしたらよいのか。ともかく今日を生きるために、少ないながらも何かを食べて、穴があいて空洞化した気持ちを埋めながら、困窮する生活を立て直していこう。
▼しかし風景は一変していた。東京は焼け野原になっていた。日本中の、どの地方の街も同様だった。広島や長崎は、炭になって燃えた。まだ収容されていない遺体が、目も向けられないほど無残な姿で、夏蠅の羽音をけたたましく鳴らして存在を示していた。
▼その8月16日から、日本は再生の日々を刻んできた。以来75年。令和の今日を生きる私たちは、先人に対して、恥ずるところはないか。あるとすれば、歴史の重みを忘れていることだろう。その日を出発点として、ひたすら新しい祖国を築き上げてきた日本人の絶大な努力を、私たちは忘れてはなるまい。
▼一方、悪魔のささやきによる陶酔も、少なくなかった。中華人民共和国、朝鮮民主主義人民共和国。そんな国名を聞くと、もはやブラック・ジョークにしか思えない。そこには人民も共和制もなく、ただ独裁と恐怖政治のもとでの洗脳があり、その結果として全員賛成の「民主主義」があるだけだった。今でこそ、その実態は知られているが、例えば50年前の日本人の中には、そうした国のシンパが少なからずいたではないか。
▼令和2年8月16日。小欄の筆者も思いを新たにして、翌日の原稿を書く。
【紀元曙光】2020年8月16日
記事・写真・図表などの無断転載を禁止します。転載を希望される場合はご連絡ください
ご利用上の不明点は ヘルプセンター にお問い合わせください。