ソフトウェアエンジニアであるアディティヤさんは、28歳の時にインドで初めて特別な手立てを必要とする子供を養子に迎えた独身男性です。彼はその子供の親権を得るため、心が痛むほどの苦しい戦いを経てようやく父親となることができました。
「私が初めてアヴニシュと出会ったのは、2014年9月13日の父の誕生日に孤児院にいた時でした。その日は誕生日を祝うためにみなが孤児院に行くのですが、そこで一人だけ養子に受け入れてもらっていない子供がいるというのを聞いたのです」とアディティヤは話してくれました。その赤ちゃんがアヴニシュでした。
生後6ヶ月のアヴニシュはダウン症で、身体的にも知的にも障害があり、生きている価値がない子供だとスタッフはアディティヤに話しました。そういった障害が理由で赤ちゃんの時に両親に見捨てられたのです。
それを不憫に思いアディティヤさんは自らアヴニシュを養子にしたいと申し出ました。
アディティヤさんが初めてアヴニシュと出会ったのは彼が27歳の時でした。そんな若い独身男性が障害を持つ子供と養子縁組をするということは、法律上にも障害があり、社会的にも認められていませんでした。
インドでは片親の場合、30歳にならないと養子縁組はできないという法律があったのです。アディティヤさんの両親も時間と労力の無駄だと言い反対しました。そういった周囲の反対に、アディティヤさんは心身ともに疲れ果てていきました。
しかし、それにめげずにアディティヤさんはアヴニシュを家に連れて帰ろうと決意したのです。首相をはじめとする国の指導者たちに手紙を書いて理解を求めました。「それは本当に大変でした。言葉では言い表せません。ただ、アヴニシュが私の唯一の原動力だったのです」とアディティヤさんは話してくれました。
アディティヤさんの熱意が届き、ついにインド政府は片親でも25歳になれば養子縁組を組めるよう法改正を行いました。アディティヤさんは2016年1月1日、正式にアヴニシュを養子に迎えました。
喜びもつかの間、健康診断の結果、アヴニシュは心臓に2つの穴が開いており、甲状腺や目にも異常があることが判明しました。アディティヤさんは、息子の病気の治療のために5ヶ月間仕事を休み、必死に看病しました。
父親の献身的な介護により、6ヶ月もしないうちにアヴニシュは支えなしで歩き始めたのです。
それ以来、アディティヤさんは特別な手立ての必要な孤児たちが社会からいなくなってほしいという願いをこめて、親たちにカウンセリングをしたり、障害児のために住宅を整えたり、多くの障害児の雇用を確保したりしてきました。ブータン、ネパールなどでも講演を行っています。
また、2019年の国連会議にインド代表として参加したこともあります。
そして、2020年3月8日の国際女性デーに、アディティヤさん「世界で最高のママ」という称号を与えられました。
今までの道のりを振り返って、アディティヤさんは誕生日に幼い息子に、もう少し大きくなったら読むようにと手紙を書きました。
「あなたという幸せな存在がいることに何と感謝したらいいのでしょうか。あなたから、想像以上のことを学びました。忍耐、謙虚さ、前向きさや、他人が自分の痛みを理解してくれるのを待つのではなく、まず他人の痛みを理解しようとすること。何よりも大切なことは、神様への真剣な祈りです。暗闇の中で喜びを感じることをあなたが私に教えてくれました。」
現在六歳になったアヴニシュは幼稚園に通い、動物や楽器を演奏するのが大好きな男の子に成長しました。
「私が息子に教えているのは、自分はどんなカーストや制度にも属さないということです。カースト制よりも前に自分は人間であるということ。そして自分のために生きるのではなく、他の人のために生きてこそ、自分の人生の意味を見つけることができると教えています」とアディティヤさんは話してくれました。
アディティヤさんは2016年7月に結婚しました。現在も養子縁組やダウン症、障害児教育などについての講演やワークショップ、カンファレンスを開催しています。
(大紀元日本ウェブ編集部)
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