2回目の東京五輪の年がきた。大いに楽しみにしているが、せっかくの機会なので、競技以外のことについても考える年にしたいと思う。
▼1回目、といえば56年前の1964年。敗戦国の日本が、わずか十数年でよくも復興したものだと内外ともに驚いた。まだ戦後の風景が残っていた東京のあちこちを掘りかえして道路をつくり、その上に鉄蓋のような高速道路を重ねた。東京に、空がなくなった。
▼筆者は当時1歳なので、直接的な記憶はない。ただ時代の雰囲気として、舞い上がる粉塵に目をふさぎ、杭打ち機の轟音に耳を押さえていたのを覚えている。それを支えたのが日本人の懸命な労働だったことは誇りとしてよいが、やはり前時代の精神主義を是認するなかに社会があり、スポーツもどこか悲壮感をともなっていた。
▼アスリートと呼ばれる選手の練習が過酷なのは、今も昔も変わりない。それでよいし、それでこそスポーツの醍醐味があるというものだ。ただ昔と同じでないこととして、選手をとりまく環境が、明るく、軽く、粘性の低いものであってほしいと願う。
▼円谷幸吉選手の悲話を記憶している人は、もう多くないだろう。昨年2月、水泳の池江璃花子選手が白血病と判り、当時の五輪担当大臣が「がっかりした」と言って顰蹙を買った。発言の一部であったにせよ、古い頭からでた言葉に、こちらががっかりして凍りついた。
▼その池江さんが12月17日に退院したと聞いた。2024年のパリ五輪を目指すという。スポーツの感動は、競技場の外側にもある。ひたむきな選手の日々を、静かに見守りたい。
【紀元曙光】2020年1月2日
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