老莱子(ろうらいし)は春秋時代の楚国の人です。彼の生涯についてさまざまな臆説(おくせつ・根拠のない、推測に基づく意見)があって、『史記』では、老莱子が老子ではないかと疑っていました。しかし、歴史的な証拠がないため、結局、彼の本当の名前は誰も知りません。
伝えられるところによると、老莱子はとても親孝行な人で、いつも一番美味しい物、一番良い服と生活用品を両親に与えました。彼は両親の生活に細やかに気を配り、心遣いがいつも行き届いていました。彼の至れり尽くせりの世話の下で両親は穏やかで幸せな生活を送り、家庭も仲睦まじく和気あいあいとしていました。
老莱子はすでに古稀(こき・数え年の七十歳の称)を過ぎていましたが、両親の前では「老いる」と言う言葉を決して口にしませんでした。なぜならば、自分よりもずいぶん年上の両親の前で、子としての自分がしょっちゅう「年を取った」という言葉を口にすると、両親はもっと自分が余命幾ばくもなく感じるのではないかと彼は考えたからです。
古稀を過ぎた人の親は少なくとも90歳を超えていると容易に想像できます。普通の場合、百歳にも近いお年寄りは体がもう相当弱り、行動も機敏ではなく、耳も遠く、目もはっきり見えなくなっているでしょう。彼らと話をしても、彼らははっきり聞こえないし、どこかへ連れて行きたくても、彼らはすでに足が弱くなってなかなか出かけられません。ですから、お年寄りの生活はいつも寂しくて単調なものなのです。両親の気持ちをよく理解していた老莱子は、両親が楽しく生活ができるよう、いつも元気で明るく振舞って、親に歳を忘れさせ、喜ばせました。
ある日、老莱子はわざと色鮮やかな着物を選び、父親の誕生日の日にその服を着て、赤ん坊のしぐさをしたり、両親の前で踊ったりはしゃいだりしました。彼は本当に天真爛漫(てんしんらんまん)な子供のように振舞っていて、両親を大いに喜ばせました。
また一回、老莱子は水を担いで広間の前を通った時、突然、つまずいて転びそうな滑稽なポーズをしてみせ、父親を大笑いさせました。「この子は本当に大きくならないね。本当にしょうがないね」と母親も笑いながら言ったほどです。
ある日、広間の傍に一群れの雛(ひな)がやって来ました。老莱子はトビが雛を掴むような真似をすると、犬も吠え出し、鶏も飛び上がり、大変にぎやかになりました。雛があっちこっちに逃げ回っている姿は、とても可愛らしく目に写りました。一方、老莱子はわざと不器用な格好をして、雛に追いつけなくてどうしようもない様子を演じて見せました。両親はその光景を見て笑いが止まりませんでした。
『礼記』と言う書物の中に「父母在,互言不稱老」とありますが、つまり「親の前で子は『もう年だ』などと永遠に言ってはいけない」という言葉が書かれていました。両親に楽しく生活させるために、老莱子は様々な方法を考えては、元気な子供のように愛らしく振る舞って、両親を慰めました。彼は親心を本当によく理解して、孝行をりっぱに成し遂げました。千百年来、このような幸せな家庭の在りようはずっと人々に推奨され、称賛されました。
(明慧ネットより転載)
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