江雨霏霏江草齊
六朝如夢鳥空啼
無情最是臺城柳
依舊烟籠十里隄
江雨(こうう)霏霏(ひひ)として江草齊(ひと)し。六朝(りくちょう)夢のごとく鳥空(むな)しく啼(な)く。無情は最も是れ台城の柳。旧に依(よ)りて煙は籠(こ)む十里の隄(つつみ)。
詩に云う。長江に降る春雨は細やかで、岸辺の草はどこまでも同じように広がっている。六朝時代の栄華は夢のごとく消え、今はただ鳥が空しく鳴くのみ。無情の最たるものは、この台城にある柳だろう。昔と変わらぬ柔らかな芽を吹いた柳が、十里もつづく堤防の上に、雨に煙りながら並んでいる。
作者は晩唐の詩人、韋荘(いそう、836~910)。唐王朝は907年に終焉するので、作者はその滅亡を目の当たりにしていたことになる。長安の都は874年から約10年続いた黄巣(こうそう)の乱によって破壊され尽くしていた。もはや国家としての体をなしていない唐であったが、894年、韋荘は59歳にして科挙の進士に及第する。奇しくもこの年は、菅原道真の建議により遣唐使が廃止された年だった。
晩唐とは、中国文学史における区分で唐の末期を指すが、その詩文は、落日のような滅びの輝きを添えて、ことのほか美しい。日本の平安文学における「もののあはれ」、あるいは中世の無常観に近いと言えなくもないが、そのスケールの大きさは漢詩が圧倒している。
金陵は今日の南京に当たる。温暖な気候に恵まれた江南の地は、かつて栄えた六朝時代の華やかな風景を、数百年を隔てた唐のころも夢のなかに持っている。その夢幻を詩の世界に投影する銀幕は、煙のように細やかな春の雨をおいて他にはない。
詩のなかでよく泣くのは杜甫だが、この作者はそうではない。廃都となった長安を去り、江南の地をさすらう韋荘は、すでに老年であったが、滅びゆく大唐を見届けようとする詩人の気骨をもっていたように思われる。
(聡)
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