1940年、外交官として数千人のユダヤ人に「命のビザ」を発給し、彼らを迫害から救出した杉原千畝。ポーランドにも、命の危険を冒しながらユダヤ人の子供たちを救った女性がいる。
ポーランドにドイツ軍が進駐し、ワルシャワにユダヤ人ゲットー(強制居住区)が設置された頃、ポーランド人のイレーナ・センドラーさん(Irena Sendler)は、看護士として働いていた。
彼女はクリスチャンだったが、ユダヤ人が迫害されていることに憤りを感じていた。彼女はユダヤ人救済のための地下組織ジェゴタ(Zegota)に加わり、ユダヤ人の子供たちを救出することに乗りだした。
センドラーさんが行った救出作戦は、命がけだった。ゲットーに収容されている子供たちに病気にかかったふりをさせ、次々と病院へ連れ出したのだ。監視の目が厳しくなると、彼女は子供たちを棺桶やスーツケース、ゴミ袋などに隠し、こっそりと彼らをゲットーから救出した。
迫害が終わった時に家族と再会できるように、彼女はひとりひとりの子供の名前をリストに残していた。活動が発覚して逮捕されるまで、彼女は2500人以上の子供を救ったのである。
センドラーさんは捕らえられ、監獄に収容された。両腕を骨折するほどの激しい拷問を受けた後、彼女は死刑を言い渡された。身を案じた友人たちが看守に賄賂し、センドラーさんを救出。その後、センドラーさんは身元を隠す生活を余儀なくされた。
センドラーさんの勇敢な行動の原動力は、何だったのか。スウェーデンの日刊紙 Sydsvenskanに語ったところによると、彼女は父親から、「人が溺れているのを見かけたら、たとえ泳げなくても、その人を救出する努力をするべきだ」と教えられていたという。彼女にとって、当時溺れかけていたのはユダヤ人だけでなく、ポーランドという国そのものだった。「宗教や国籍に関係なく、溺れている人を見たら助けなければならない。そう言われて育ちました」とセンドラーさんは話している。
戦争が終わり、救出されたユダヤ人の子供たちは、決してセンドラーさんを忘れなかった。彼らの子供や孫たちがセンドラーさんの元を訪れた時の写真が残っている。彼女の内に秘めた信念の強さは、その穏やかな表情からは想像もつかない。
2008年5月、センドラーさんはワルシャワで生涯を閉じた。享年98歳だった。
(郭丹丹)
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