【大紀元日本6月16日】常磐自動車道の北茨城インターチェンジから国道6号線で北上して約15分で、茨城県天心記念五浦美術館に着く。ここからは3分で、茨城大学五浦美術文化研究所(天心遺跡)に着くが、駐車場がないので、道をはさんで斜め前にある市営駐車場(無料)を利用されたい。公衆トイレも付設されている。
入口になる長屋門(登録有形文化財)は、管理室、受付として岡倉天心(1863~1913)が住んでいた当時と同じ役割を果たしている。杉皮葺きの屋根は、100年の歴史を感じさせる貴重な佇まいだ。入口を入った左手にはコンクリート造りの天心記念館(1963)があった。ここには、平櫛田中作の「五浦釣人」と「岡倉天心先生像」があり、天心の釣り舟「竜王丸」や関連資料が展示されていた。
ラングトン・ウォーナー(1881~1955)はハーバード大学で考古学を専攻し、卒業後、五浦で天心に師事して日本美術の研究家として大成した。そのウォーナーの肖像(図1)は平櫛田中が制作し、覆堂は法隆寺夢殿を模して設計されている。
六角堂へはゆるい坂道を下りていくが、途中に見る太平洋は荒々しく、男性的で素晴らしい(図2)。天心が読書と思索にふけった六角堂は東日本大震災の津波によって流失したが、1年後に創建当初の姿で再建された(図3、4)。以前と大きく異なる点は、鉄製手すりを設置したことだろう。六角堂から見るホテル大観荘(図5)も、なかなか見ごたえのある風景である。
六角堂を後にして滑りやすい坂道を上りきると、そこには芝生が敷き詰められた広々とした前庭がある旧天心邸(登録有形文化財)があった(図6)。津波はこの瀟洒な母屋の縁側まで来たことを示す案内板が縁先にある。敷地の一角に、「亜細亜ハ一な里」の石碑が建っている。書は横山大観が、天心の横顔の肖像は新海竹蔵が制作している。「亜細亜ハ一な里」(ASIA is one)は、天心がインドで書いた「東洋の理想」の冒頭の一文である。書も彫刻も伸び伸びとしていて、この地にピッタリだった。
茨城大学五浦美術文化研究所 (319‐1703)北茨城市大津町五浦727‐2
電話:0293‐46‐0776 開館時間:8:30~17:00 休館日:毎週月曜日、12月29日~1月3日
入場料:300円
ご利用上の不明点は ヘルプセンター にお問い合わせください。