【大紀元日本8月10日】「中華民族の基層を流れる伝統文化はもはや喪失の危機。カルガリーがカウボーイ文化を大切に護ってきたように、我々も5千年の伝統文化を受け継いでいかなければならない」。こう語ったのはカナダに移住した中国人の羅賓さん。この夏、「地上最大のアウトドアショー」と言われる「カルガリー・スタンピード」を初めて見物した後だった。
「カルガリー・スタンピード」はカナダのアルバータ州のカルガリー地域で毎年7月上旬に開催されるカウボーイの祭典である。10日間の期間中、世界各地からカウボーイファンたちが集結し、カウボーイ文化に存分に浸かり、満喫し、さらに盛り上げていく、言わば「カウボーイ魂」を呼び起こす祭典だ。
商業色に染まらない開幕パレード
純朴な気風のカルガリー地域では、カウボーイ文化や価値観が人々の心に生きている。「開幕パレードではそれが余すところなく表現された」。文化の保全に努める地元政府や住民の姿勢に感激した羅さんは話しを続けた。「社会的要素・商業的要素に投影されない純正なカウボーイ文化を、カルガリーの人々が自らこのパレードで体現した」
一方、5千年の歴史を誇る中国の伝統文化、その深遠な内涵は世に広く知られているが、近年では、文化の金銭的・商業的価値が文化自身の価値や内涵を凌駕している。「芸術品の価値を評価する時、我々は金銭的な値打ちで評価しがちだ。中国でこのようなパレードがあろうものなら、きっと商業広告が溢れかえり、文化の薫りを薄めてしまうに違いない」と、羅さんは中国に根付いた「金銭至上」の価値観に染まった文化を憂慮した。
ロデオ、自然との共存
中国文化は、「琴・棋・書・画」に代表されるように「静」を重んじる。西洋の文化はそれに対し、「動」を重んじる。アメリカ文化はベースボールやバスケットボールなどのスポーツ文化なしでは語れない。ここカナダのカルガリー地域ではまさに、カウボーイ、さらに言えば、ロデオがその文化的象徴なのだ。
「テレビで見るのと完全に違う迫力」と羅さんは興奮気味に語った。「ショーの見せ方が成熟しており、観衆は心ゆくまで楽しむことができた。その疾走感、カウボーイたちの荒い息、暴れ馬のダイナミックな足音、どれも奔放で自然に回帰したようだった」
ワイルドなカウボーイ文化に自然が息づく。自然との共存で、カウボーイ文化はさらに異彩を放つ。それは中国の伝統文化も同じではないか。しかし、「中国にはもうこんなところはない。チベットでさえも現代文明の乱暴な侵蝕と排除に喘いでいる」。羅さんは100年の歴史を持つ祭り会場で、5千年の文化の行方を案じた。
市場でもカウボーイ文化の薫り
市場で、カルガリーのシンボル、白いカウボーイハットとブーツを手に入れ身につけたら、たちまちウェスタンな気分。カウボーイ気取りで、今度は絵画展を覗いてみる。「ここではカウボーイ文化を生み出した山や林、カルガリーの原野、そこに生きる牧民の生活を描いている。カウボーイハットやロデオだけではわからないカウボーイ文化のルーツがここにあった」と羅さんは話す。
中国にも「地域文化」を称える祭りがある。しかし、見え隠れするのはやはり「金銭至上」の流儀。土産物は地域の文化を反映することなく、より儲かる通俗的なものが氾濫する。
「文化の背後には人の心がある」と羅さんは感慨深く語った。「純粋なカルガリー人の心。彼らが伝統文化を大事にする心を持っているからこそ、純正なカウボーイ文化を伝承することができた。一方、現代中国では、目先の利益を追求する浮ついた心が、文化的断層を作ってしまった」
カウボーイの祭典に思う中国の伝統文化
「民族のものであるほど、世界のものとなる。貴重なものであるほど、永遠なものとなる」。羅さんは「カルガリー・スタンピード」をこう結んだ。
カウボーイ文化の祭典は、現実世界の喧騒を忘れさせてくれる。人々は大自然と一体化し、自然と共存する伝統文化に陶酔し癒される。カウボーイ文化の祭典は、こうして人々に民族の歴史を思い起こさせ、自らの文化を受け継いでいく大切さを伝えている。
孔子の言葉に「温故知新」がある。歴史を大切にしない民族には未来がない。中国人は5千年の歴史を知らないわけではない。しかし「ファーストフード化」した「文化」の底に流れる歴史を今は誰も珍重しない。民族の歴史、民族の伝統文化を大切にすることができてこそ、民族の精神を脈々と伝えていけるのだ。
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