【大紀元日本9月17日】
原語= 打醤油
和訳= 醤油を買う
「醤油を買う」ことを標準中国語では「買醤油」というが、俗な言い方では、「打醤油」と言われる。「打」はここでは「買う」という意であるが、原義は「(水など液体のもの)を汲む」ことである。たとえば、「水を汲む」ことを「打水」と言う。
ひと昔前、醤油は瓶などの容器に入れて販売されるのではなく、甕など大きな容器にある醤油を柄杓形の計器で汲んで、お客さんの持参した瓶などに入れた。それゆえ、醤油を買うことを「打醤油」というわけである。
改革開放後は、こういった「打醤油」という風景は、都市部ではだんだん消えていき、貧しい田舎などを除いては、ほとんど見られなくなった。
それにもかかわらず、「打醤油」という言い方は、今日まで存続しており、しかも調味料など食料品を買うことも抽象化して「打醤油」と言う人や地区もある。さらに、以上の意味から演繹して、「孩子都能打醤油了」(俺の子は買い物もできるようになった)という言い方も生まれ、且つ普遍化して愛用されている。
それでは、「打醤油」が流行語になった経緯は何だったのか。
08年1月から2月にかけて、香港、広州などで著名な女優やタレントらのプライバシー写真が、次々にインターネットで暴かれ、いわゆる「艶照門」(色っぽい写真事件)が起り、多大な反響が沸き起こった。この事件について、広州テレビは街頭で市民にインタビューした。インタビューを受けた市民A氏は、「関我X事,我是来打醤油的。(俺には関係ないぜ。俺は醤油を買いに来たんだ)」と答えた。
インタビューに答えたこの映像がテレビで放送された後、この「打醤油」はネット住民の間でいきなり流行し、まもなく社会全体の流行語となった。
流行語になってから、この「打醤油」は意味も変異していった。醤油や食料品を買うという原義から、「ある事について分からない」、「コメントしたくない」、あるいは「自分はこの事に無関係だ」という意味に演繹されたのである。
無関心、出来事に関わりたくない、エゴイズム…これらは中国の国民的価値観であり、中共統制下の国民根性の実態なのである。すなわち、国民的な処世哲学と国民根性が、過不足なくA氏の「打醤油」にユーモラスに表現されたため、これが流行語になったわけである。
皮肉や悲哀が漂う「打醤油」が流行する一方、それへの反動力も同時に孕んでおり、且つマグマとして徐々に地表に迫っていく。
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